「在日」 by カンサンジュン

 教養を感じさせる文章で綴られた、自叙伝。在日について、ほんとに何も知らなかったんだということがわかった。とはいえ、本書は在日問題の解説書ではない。世論が母国(韓国朝鮮)に敵愾心をあらわにする中での、在日の苦悩などが主観的にのべられた本である。付随的ながら、近代史の流れも大ざっぱに知ることができる点でも有益である。
 疑問があったので、夕食時に在日の友達にいろいろ聞いたところ、丁寧に答えてくれたので、理解が深まった。外国人の選挙権の問題についても少し議論した。
 白状すれば、在日は(「在日」と呼ぶことは「外国人」を「外人」と呼ぶようなぶっきらぼうさを感じるが「在日の人」と書くのも一般的でない気がするため、以下、単に「在日」と書く)、日本に生まれ日本に育ったのに、歴史的経緯から、日本国籍を(欲しくても)付与されない(ゆえに選挙権を有しない点が問題となっている)のだと思っていた。しかし、彼らは日本人に帰化することができるそうだ。すなわち、日本人になれないのではなく、日本人にならない道を積極的に選んでいるということだ。
 彼曰く、在日は、その国籍について3つの選択肢を有する。日本敗戦後、在日は、みな「朝鮮籍」となった。その後、朝鮮が南北に分断されたため、在日は、外国人登録名簿を書き換えることで韓国人となることができる(そして韓国大使館で手続きをすれば韓国で戸籍め作られる)ようになった。日本に帰化すれば当然、日本国籍が取得できる。何もしなかった場合は、外国人登録名簿上は朝鮮籍のままだが、これを北朝鮮籍の意に解しているらしい(北朝鮮に戸籍はないらしい)。
 そして、第一の選択肢を選んだ人が「在日韓国人」となり、第三の選択肢を選んだ人が「在日(北)朝鮮人」となる。北朝鮮バッシングの中、北朝鮮国籍であると、旅行等でも不都合が生じる(トランク全部調べられたりする)ので、韓国籍にかえる人が多いらしい。彼が高校生のとき、在日70万人中、朝鮮系は10万人といわれていたらしいが、現在はもっと減っているだろうということ。なお、韓国語も話せるのだから、韓国籍がとれるのならば韓国に住めば(韓国人としての選挙権もあるのだから)問題なくね?とか思ってはいけない。当たり前だが、在日は日本で生きて来たのであって、そこに人的、経済的なネットワークを形成している。裸一貫韓国で生活を始めることなど、なかなかできることではない。
 僕としては第二の選択肢、すなわち「帰化」を選ぶ人の数が気になるのだが、統計的なデータは彼も知らないようだ。「帰化」が「同和」を意味する限り、在日の帰化に対する抵抗は消えないだろう。日本人の夫婦が米国で子を出産した場合、その子は成人したとき、日本国籍を取得するかアメリカ国籍取得するかを選ぶ。この場合、両親が日本人ではありながら、自分が米国で生活するための便宜から、アメリカ国籍を取得することも多いだろう。これと同じようには、日本人への帰化日本国籍の取得)が進まないのは、やはり、戦争の爪あと、民族レベルの排他感の帰結なのだろうか。
 ところで、彼は日本人が言うところの「敗戦」のことを「解放」と呼称する。彼は言った、「自分は日本人であるという感覚はない・・・何人かという問いに対して、積極的な答えはしっくりこない。日本人でない、というのがもっともしっくりくる答えだと思う・・・」と。
 国籍とはなんなのか。○○人であるとはどういうことか。考えるべきことは山積するが、とりあえず今日は、その前提たる事実関係の一部を知ったことを記すにとどめる。