人生の本質と目的

 人生は「要するに利己」と主張する説に対する違和感が確信に変わり、周りに強制はしないが、少なくとも俺は「利他」のためにこの道(人生)を走ろうと思う。むろん、おいしいものは食べたい。その意味で、動物としてのヒトの一生は利己なのかもしれない。つまり、人生の本質は利己。でも、社会的存在としての人間は、人生の本質が利己であると知りながらも、その目的を利他としうるのではないか。本質が利己であり、目的が利他であるとすると、そこにジレンマが生じる可能性がある。必ず生じるわけではないのがミソで、この両者の競合をなくしスムーズに運営していくのが、メタ俺、なのかもしれない。やりたいことをやっていて、なおかつそれが周りのためになればいいね、という発想をする人と、周りのためになることをやっていて、なおかつそれが自分のためになればいいね、という発想をする人がいて、俺はこの2択でいうと後者だが、むしろ、この二つを並列に論じるのではなく、本質と目的に区別すればいいのでは、ということを考えたので(かなり前から)、発表してみた。
 ちなみに、本質と目的に分けて考えるのは法学からヒントを得た。刑法なんだけど、刑法の本質は応報であり、目的は犯罪抑止とかなんかそんな感じ。