命の話 〜友人の死から〜

今日あるコと話していたら、知り合いが結婚するらしい。ひとつ下の現高1の女のコ。「できちゃった」から。産まれてくる命。おろさずに産んで育てていくということはとってもすばらしいことだってんでわいわいと喜んでいた。産まれてくる命。それは大きな幸せを運んできてくれる。こういう話を聞くだけで、そのコの親父に殴られただろうそのコの旦那の顔が浮かんでくるけれど、それはそれでいいじゃないか。好きなんだったら。運命の人になんてめったにめぐりあえるもんじゃぁないから、僕もどっかでみっけたらはなさずに捕まえておこうと思う。

その帰り道。メールが届いた。僕の友達が死んだらしい。

そのコA君と僕は小学校が同じだ。一度も同じクラスになったことがないし、あんまりしゃべったことはないけれど、一学年100人程度の学校だ、生徒一人一人と親しみがある。そんな彼が死んだ。 しかし、耳を疑うほどに疑える話ではなかった。

小学校の頃、彼は病気で長期間学校を休んでいた。薬のせいか、放射線のせいか、復帰したときは、髪の毛がなくて、かわいそうだった記憶がある。多分その病気で死んでしまったんだろう。階段降りるのが誰よりも速いのは自慢の子だった。

消えていく命。その人が生きてきて触れ合った人々はみな、嘆き悲しむ。僕も例外ではない。彼が死ぬ前に僕のことを思い出していたとは考えられない。だけども、僕にとって彼は友達だった、いや、過去形はやめよう、友達である。明日お葬式だ。母は言う、今までなんの連絡もなく葬式だけ顔をだすって迷惑じゃない?

なるほどそうかもしれない、しかし多くの人に来て欲しいと思うし、やっぱりいきたいんだ。友達として、そいつが死んだって情報を得た以上、行くしかないじゃん。

産まれてくる命と同じだけ、消えゆく命がある。重みは一緒。無間に広がる未来への希望にみちみちた命重いし、一生懸命「人生」をいき抜いてきた命も重い。産まれてくる幸せと同じだけ死に行くものへの悲しみはある。僕らの力ではどうしようもないことだ。だからみんなも、考えて欲しいんだ。 俺の親もいずれ死んでしまう。 どんなものだって永遠にはいきられない。だから「今」を生きよう。明日に先送りなんてしないで!。「今」精一杯楽しく、有意義に生きようよ。明日があるさ、ってはやってるけど、確かに明日はきっとあるだろうけど、だからって今日を捨てちゃわないで今日こそ真剣に生きようよ、

そして産まれてくる命を歓迎しよう。 中絶とかしないで!、させないで!。 誰かを亡くした時、悲しみにくれてしまうんだから、どんな形であれ、新しい命を無条件に歓迎しようよ。 そして大事な人は大事にしようぜ。

明日はお葬式。

子供の日にお葬式。

俺はかれにも、ちまきを食ってほしかった。