拓 〜高2の未来予想図〜

最近、生と死について考えている。人類という視点から見た時の個人の生はなんとはかないのだろう。それぞれに生きる意味を見つけ、人生に誇りを持たなければ、やっていられない。今現在、生きているというよりは生かされている。だから、自分の生きる意味を求めるのは「将来」に対してであって、それは一般に「夢」と呼ばれる。

僕に大きな夢がある。それは漠然としたものだが、年季が入っていて自分の中では確定している。その「夢」にはまだまだ到底届きそうもないが、それに向かう「道」を決めなくてはならない時が来ている。道を選び、その道の上にある職を選び、夢にむかってひた走る。そういう一連の選択の一番最初を、ついに自分でするときが来たのだと思う。

世の中にはいくつもの道があつが僕は、あまりに平らな道や、下り坂を除いてはどの道へ進んだとしても、歩き続けることとは夢に近づくことだと信じている。また、そうできるだろうと自分を信じている。だから、今すべきことは、どれだけ歩いていて飽きないか、楽しく続けられるか、という観点から道を選ことだ。

景色のかわらない道を歩いても面白くないし、タイムを伸ばすためだけに走るのも虚しい。やはり、周りの人に応援してほしいし、また、周りの人に感動、勇気を与えて生きたい。

常々母が口をすっぱくして言うことは、「自分の人生は自分で切り拓きなさい」というものだ。それゆえか僕は、やはり最後は自分だと思っている。愛する人や友人や、そういう仲間とともに生きて行くのだろうが、そういう仲間はたいてい自分に似たところがある。類は友を呼ぶのだ。だから、結局、自分を高めてこそ、よい友人が集まり、自分を支えてくれるのではないだろうか。大学では、自分を磨きたい。

もうひとつ母の影響で、医者という職業が自分の中で特別なものとなっている。母、祖母が僕を医者にさせたがっていることは小さいときから知っていた。僕も実際、小・中学校と、自分は医者になるものだと思っていた。しかし、無理だと思う。リクルートの職業適正テストではワースト20に、医師・歯科医師・看護士・臨床検査技師・心理カウンセラー・薬剤師・介護士が入っていたからだ。ワーストの方に医学系職業をコンプリートしてしまうとはやはり、「手を出すな」ということだろう。何よりも、魅力を感じない。

僕は前にも書いたが、人の為にというよりも、人に感動を与える仕事がしたい。映画にしろゲームにしろ演劇にしろ、名作の後のあの感じ(感動)はイイ。そういうものを生み出し、提供する仕事の一端を担えたら幸せだと思う。リクルートもそう言っている。僕は、文章も絵も下手で、およそ芸術とはお門違いの人生を歩んできた。なにもいまさら芸術に目覚めようというわけではない。自分は自分の得意の分野でその世界にアプローチをかけるつもりだ。

しかしながら、リクルートを無視して医学の道を進むというのもありだと思う。医者に魅力は感じないが、医療そのものには惹かれる。親孝行にもなる。子の幸せが親の幸せだというから僕らが自分の道を進んで行くことは親の幸せでもあるはずだと思われている。しかし、親には親の希望がある。自分の希望通りに行かない息子に対し、「医者になれ」とはおおっぴらには言えない。一般に、そういうことは「押し付け」として非難されるからだ。かわいそうだと思う。

また、親の言うとおりに医者になろうとする子も、自主性がないとかいっていろいろ言われる。自分の進みたい道が親の希望と同じならば、それは文句なしに素晴らしいことだと思う。残念ながら違う僕は、どうすべきか、本気で悩む。

とりあえず僕は、両者のどちらの道へも進めて、2年間の考える猶予があり、また自分の「夢」に日本では最も近いであろう東京を目指している。この選択は今まではある種の「逃げ」だった。「大学受験は将来への手段にすぎない」らしいのに、まだ将来が見えてこない僕は、そこでの2年間の猶予をあてにしていたのだ。しかしそれではだめだと思った。そして考えた。冒頭の通り、ふと「生と死」について考えたときからだ。そして結果は、たいしたことはない。前と見た目、変化なし。しかし、もう「逃げ」ではない。一応将来を見据えての、選択だ。

 僕は東京に行き、そこでの2年間自分を磨きつつ、先の2つの道もしくは新しい道を選択する。そしてどういう形であれ社会人となり、そこでまた切磋琢磨して、「夢」への到達を図る。間違いなくきっとまた迷うだろう。この前の自爆テロ事件を見て、どうにかしてどうにかしたいと思い、勢いあまって文転した僕だ。当時、確かに使命感を感じ、考え抜いた転向だと思っていたのに、今理系。やはり僕は優柔不断だ。そして、先見の明がない。だからこうして本気で、考えなければならないのだ。

そして「夢」への到達は相当に厳しいものとなるだろうと思う。自分の信念をくじかれるかもしれない。しかし、自分で切り拓いてきた道であろう。誇りを持って、自信を持って、けっして折れずに前を見ながら、生きて行きたい。


「拓」という、名前にかけても。