宇宙の話 〜逆説的な矛盾を越えて〜

宇宙の始まりはビックバンであったと考えられています。ビッグバンの前、宇宙は超高密度のため、全てを吸収するブラックホールであったらしく、その後、爆発の瞬間に想像を絶する光を放出し今もなお膨らみつづけているらしい。そう考えると今の我々の人生がなんてはかないものなのだろう。宇宙のはしっこは光速の90パーセントの速さで離れていくところも発見されている。とにかく人生が短いのはたしかで、だからこそ大事だともいえる。

ここで、ひとつ興味深い考えを紹介したい。ビックバン前の宇宙は玉を突かないビリヤードであるという考え方だ。ビリヤードでは、玉を打つまでは未知の世界、無間の可能性を秘めている。が、玉を突いた瞬間にそれは既知の世界になる。玉を突く強さ、角度それらが決まってしまうので、あとはきめられた道を進む玉を見送るだけである。数学の知識を応用すれば、その後の玉の動きは全てわかってしますであろう。そう考えるならば、ビックバン=玉突きである。その瞬間に未知は既知となり、無間は有限になった。

1・2・3・・・・・この数列の最後は?。それは無間である。しかし、宇宙が無間だとは考えにくい。なぜなら宇宙は現に「存在」するからだ。「突かれた玉」を「粒子」レベルの大きさで考えると、「未来は既に決まっている」といえるのではないか?。今われわれの考えていること、一分後にすること、これらは全てビッグバン以来動きつづけている「玉」の動きそのものではなかろうか?。玉の突き方が少しでも違っていたなら、人類はおろか、生命も誕生しなかったに違いない。

しかしながら、ビリヤードにおける玉の軌跡は数学的に得た結果とは実際は少しずれているに違いない。人のすることだから「奇跡」がおこるのだ。思うに、生命とはビックバンすなわち神すら予想できなかった「奇跡」ではなかろうか。それは突風によって軌道の変わった玉かもしれないし、台から落ちた玉かもしれない。

ただ、そんなこととは関係なく、あまりに広大な板の上で無間に近い数の玉が今だ動きつづけているのは事実である。 願わくば、どこかに同じく、台から落ちた「玉」があることを。そして、我々の「玉」とどこかで出会えるならば、人類としてこれほどうれしいことはない。

そもそも宇宙の一部として生かされている一人の人間がその母体となる宇宙そのものを考えようとすること自体に逆説的な無理があるのであるが、ただ、思ったは、自分が今ここに生きているのはすごいことであり、そして愛する人が今この世に生きているのもすごいことである。まして、その二人が出会うなんて・・・・・。みなさんも出会いは大切にしましょう、と言いたかっただけ。(なんじゃそりゃー)