台風一過


 今回は犠牲者もいるから、やや不謹慎かもしれないが、台風が来るとやはりワクワクする。本格的に到来する直前に、雨がやむことがなぜか多い(台風の目ではなく)が、突然の静寂は、興奮を助長する。台風直撃中は、自宅の窓から横殴りの雨、しなる木々を見て、自然の力に畏怖するのがよい。魔法や召還獣の具体的規模を想像するのもおつである。台風通過後は、カラリと晴れるのがまたよい。険しい顔で勝負に挑んでいたアスリートが試合後に柔和な、あるいは無邪気な表情を見せたときのかっこよさと類似する。台風はその激しさから、ピアノソナタで言えばベートーベンに例えるのが適切だと思うが、月光あるいは熱情の最終符を鍵盤に叩きつけ、一瞬の無音の後、緊張と静寂を帯有していた客席がそれを破り一斉に拍手をする、といったシチュエーションも、台風一過と通ずるものがあろう。
 感動とは異なるが、こういった心の不随意的な挙動に際して、別言すれば、心のアンテナが信号を感知したとき、表現したい、あるいは記録したい、という本能的欲求を自覚する。詩人であれば詩を吟じ、音楽家であれば作曲に勤しむのだろう。それは表現欲の実行であり、記録願望の実現である。僕はこうやって脳内をありのままに記録するしかないが、この感覚を音にして聴覚的に表現記録できる才がある人は羨ましい。とはいえ、現代は一般市民も容易に視覚的に記録することができるのだ。そこで、パチリ。