キャラの齟齬

 自分が思っているキャラと他人に思われているキャラとの齟齬はいつの時代の大きな関心事である。本人の全情報を基礎として理想とするキャラならばとるだろう行動を「本人的正キャラ行動」、他人Aの有する情報を基礎として理想とするキャラならばとるだろう行動を「A的正キャラ行動」と呼ぶとしよう。
 自分が理想とするキャラとして評価されない原因としては、まず、本人的正キャラ行動自体をとれていない場合が考えられる。優しくありたいと思うのに、優しい行動がとれないなどである。または、冷静に考えれば、当該行動は優しい行動ではないのに、その場では当該行動を優しいと思ってしまうなどである。
 もう一つは、本人的正キャラ行動をとれてはいるが、それが他人的正キャラ行動とは異なる場合である。情報の非同一性が主たる原因であろうが、情報が同期されていたとしても評価主体が異なるため、両行動が不一致となることはありうる。本人としては事後的に振り返っても優しい行動をしたつもりなのに、周りはそうは評価しない場合である。本人は優しさからとった行動であっても、他人の有する(本人より少ない)情報からすれば、本人は見返りを求めての行動であって優しさではないと評価されることもありえるだろう。
 したがって、自分の理想とするキャラと評価されるキャラが異なる場合は、以上の二点から、自己の行動を反省する必要がある。そのなかでも、特に後者を原因とする齟齬については、なかなか後味も悪いが頑張ろう、ということを以下書く。
 ときに今日、「YOU、口軽いYO!」という評価を受け、愕然とした。秘密堅守をウリとし、様々な情報を集め(集まり)豊富な情報群を背景に、例えば相談役として適切なアドバイスをすることをが実際に多く、そういうキャラでありたいと願い、またそういうキャラであると自負していただけに、それはなかなか悲しい通告であった。どうやら、隠すべきこととは思われないことを、隠すそぶりもなく聞いた事実AやBが、その当人にとってはこっそり秘密であったらしい、ということが何回かあるようだ。当人の帰責性はさておき、こんなことで、口軽い評価が蔓延するのは看過できないので、今後情報の出口を遺憾ながら(個人的には不必要に)絞ることになるだろう。