2008年の名言記録

2008年に出会ったステキな言葉達

監督辞任にあたって(ラモス瑠偉

監督は辞めて、フロント入りすることにしました。魂が灰になるほど疲れ果てたからです。・・・僕はもともと敵がいるほど燃えるタイプ。簡単には倒れない。転んでもすぐ立ち上がる。その繰り返しです。・・・その後監督に復帰し、J1で実績を残してから日本代表の監督を目指します。厳しい仕事だ・・・けど、死ぬまで闘い続けるのが僕の宿命だと思っています。

かっこいい。

仲道郁代氏(ピアニスト)の記事

(父の介護と娘の世話をすることの負担は重いが、)今の負担が軽くなるのは、父と別れ、娘が巣立つときでしょう。そう考えれば今は家族の幸せな時なのです。

 苦しさと幸せは密接不可分な関係にある。しかしそれは苦しみがあるからこそ、その先に幸せがある、という理解でしかなかった。今のつらさは、将来の自分のため、将来の誰かのため、という理解。しかし、苦しさと幸せは表裏の関係にあるという点でも密接不可分なのだった。時間軸ではなく、存在として、一体なのだと。介護の負担の苦しみは、父が生きているという幸せに由来し、負担の軽減は、父の死を意味する。
 たとえば、学問の苦しみは、経済的・肉体的に学生でいられることに由来する。苦しくって唇を噛むときは、その裏にある幸せも同時にかみ締めなければならないのだな。

「わたしのゆめ」という題の友人の日記

 実は、生まれつき股関節に問題があって小さい頃に股関節の手術をした私、幼稚園の年少さんのときこの世に生まれて初めて持った夢は、バレリーナになる事でした。
 幼稚園でやっていたバレエ教室に行きたくて行きたくて、でも行かせてもらないのが悔しくて悔しくて。どんなに頑張ってもバレリーナにはなれないの、その悲しい言葉と一緒に飲み込んだ夢は、手術を受けたその時から、お医者さんになることにかわりました。一人でもたくさんの子が夢をかなえることができるように。一人でもたくさんの子が病気を克服して、みんなと同じように、抱いた夢に向かってちゃんと歩き出せるように、ちゃんと一歩をふみ出せるように。歩いていけるように。
 強い思いは15年以上の時をこえて、たくさんの出来事と出会いの中で少しずつ少しずつ形を変えて今、新たに書ききれないほどの思いを胸につめて、私は4月から看護師になります。

平易だが胸を打つ、とってもステキな文章だと思った。

「峠」より

  • 心を常に曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とはなにか。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。
  • 学問の道はその気質の陶冶にあり、知識の収集にあるのではない。気質が常にみがかれておれば心は常に明鏡のごとく曇らず、ものごとがありありとみえる。
  • 継之助の思想では河合継之助というのは1個の霊である。霊が生命(いのち)を所有している。霊が主人であり、生命は道具にすぎない、という。…道具なればこそ鍬はよく土を耕し、鉋はよく板を削る。おれもおれの生命を道具にこの乱世を耕し、削ってみたい。
  • 継之助がおもうのに、人間にとって必要なのは視角を変えることであり、他人の視角をおもしろがるということである。

白い巨塔」より

  • 医師たる者は悲しみのどん底にいる患者の家族から進んで解剖の申し出を得られるほどの信頼がありたいもので、それには学問に対して絶えず真摯であることと、人間としてりっぱであることの二事に尽きます、特に医師はあらゆる経験・知識・技術を兼ね備えながらも、なお至難な診断の一瞬において、限りない孤独と不安に襲われるものであるから、この医者の孤独に耐え、患者の生命の尊厳を犯すものと最後まで闘い得ることが、医者の使命であり、倫理であります。
  • 自分が出来るときに力をかすのは、誰にでも出来ることで、自分が出来ない時にでも、何とかしてさしあげるのがほんとうの尽力というものではございませんかしら・・・
  • 医学者というというものは、三つ葉のクローバーのように医学、医術、医道の三つのうちどれ1つ欠けてもりっぱな医学者とはとはいないんだよ

ランディ・パウシュの最後の授業