忙と充実と満足

今日は東大ローの合格発表の日。あれから1年か。結局、日々忙しいのはデフォルトだ。その構成割合が、年ごとに違うだけで、今はたまたま学問が多い。
忙しいとは暇な時間が少ないということだ。自分の可処分時間のうちいかほどを暇にあてるかは自由であるから、可処分時間全てを暇にあててもなお満足できない場合でない限り、多忙は自ら望んだ結果であり、感謝こそすれ、評価の対象だとは考えにくい。むしろ一喜一憂するべき対象は、暇な時間以外でなしたことの価値であろう。そしてその価値が高い場合に、充実したと言いうる。
充実するためには、行為時の努力が重要なのは当然だが、基本的に全力で事にあたることを前提とするならば、重要なのはむしろそのスケジュールの管理であろう。
つまり、可処分時間のうち暇としない時間を決め、結果の価値が最大になるように、そこでなすべき行為を選別し、順番を決める。そして決めた以上、全力で事にあたり、結果の価値の総和を見て、満足したり反省したりして、次のスケジュールをたてる。要するにそういうことを目指して毎年生きている。