ロースクールの行く末

 そういえば、今を時めくロースクール生だったことを思い出し、ローからみの記事でも書きます。自習室です。金曜1げん遅刻以降、いまだ学習をしておりません。ごめんなさい。ほんとごめんなさい。ああ、1げん遅刻したことをカミングアウトしてしまったぁー。あー反省してないこともバレてしまったー。うぉー。
 慶応ロー教授(新司法試験考査委員)が試験問題の類題演習をしていた件について。おわってんなー。昨年は早稲田の会計大学院が問題漏洩したとの噂だし、競争が激化する試験では、結果を出そうと躍起になってしまうのだね。制度自身の問題点はローができすぎたことにある。ロー入試で絞って、司法試験は8割合格にするというのが当初の予定であるが、現実には今年4割を切り、2割で恒常化する見込み。学校を問わなければ必ずどこかのローには受かるというのが違和感ありまくりだ。仮にも院である。社会にあえて出ないで学校にとどまるのだ。しかも研究すらしない点、在学中は社会貢献も0に等しい。優秀な法律家として社会貢献するための準備期間だからこそ、それが許されると考えると、試験に受からん人材が半数でる(0.8^3=0.5)のはどうかと。法律家になれないのなら、学部卒で働いた方が社会のためだし、本人もそれを望むだろう。従って、司法試験に合格する実力があるもののみをローでとった方が、よい。そもそも司法修習の一部を引き受けたはずのロー教育が、試験の合格率を気にするあまりないがしろにされては、司法改革の理念自体が無に帰してしまう。
 しかしもはやロー乱立が既成事実化した今、あそこのローつぶれたらえーねん、とは言えない。むろん、自然と淘汰されていくだろうが、少なくとも地方にできたローは生き残ってもらいたい。弁護士が東京と大阪に2極集中する(地方では弁護士が0人または1人になるといういわうるゼロワン問題。ちなみに、弁護士1人だと相手方に弁護士がつけないから結局訴訟で解決できないからダメなんよ。)問題の解決も地方にローが出来ることによって緩和されるという期待感がある。それもあって、やはり、合格率は高めに・・・と思うがくどいか。
 とすると、ロースクールで学んだことが、なんらかのバリューを持つようにならねばならない。この点、他学部から来た人は多いに意味があるだろう。三年という期間は確かに長いが、人生設計の中で、どこかのタイミングで法学を一通り学んでおくことは有意義だからだ。例えば、研究者が三年間ローで学んで、再び研究に戻るとかはアリだと思う。特に、実社会と関連した研究をしている人(最近はコレが主流なはず)。あるいは、コンテンツ界で働く人、政界デビューを考える人などが、教養としての法学を院という場で学ぶのは意味がある。これについては、予備校でははっきりいって無意味だ。試験に合格するための意味は大いにあるが、教養として〜という観点からはローに進学すべきだろう。というか、予備校はそもそも教養としての法学まで射程には入れていない。
 問題なのは、法学部からローに進学した人である。東大はリベラルアーツ期間があるから別だが、普通は四年間法律の勉強をする。わりと十分ジャマイカ?既習コースに入ってさらに二年。この二年は実務家になるための教育がされるから、実務家になれなければ、やはり微妙だろう。教養としての法学は学部の四年で学んでいるのだし。この、法学部からローに進学したものの、試験に通らないという人が必ず少なからず生まれるのが今の制度である。おそらくは向学心ある人材を、社会にどう活かしていくか、彼らの二年間を意味があったと首肯できるような教育システムが構築できるか。
 司法制度改革はいまだなお、問われ続けている。

P.S.正門前で東北大ロースクールのパンフを渡された。と・・・東大の真ん前で他大が勧誘していることに衝撃。確かに、ロースクールは理念の実践と結果との両立を図るには優秀な生徒の確保が命だからな。その点で、慶応ローの不祥事は最悪のタイミングだったといえるだろう(今まさに、どこのローを受験しようかみんな考えている)。