怠慢福音説

標語的に言うと俺の場合、日々の充実は思考の深化を妨げるきらいがある。むろん思考の深化を生業としている人(学者、研究者)は違うだろうが、(先人のレベルに追いつけば十分である)いわゆるお勉強をやっているにすぎない俺は、そちらが充実すると、自らの頭で自由なテーマで考えていくという流れが起きにくい。つまり心コンテンツが生まれない。考えてみれば自然な話で、勉強で頭使うと、脳が疲れてその他で考えることをサボりたくなる、という構図。従って、勉強の意欲が沸かないのは、心コンテンツ的な思考ができやすいチャンスであるととらえられなくもない。
さらにポジティブに考える私、23才、独身。どんなに忙しくとも、慣習的に、例えば電車の中とか、日々ちょっとずつは何かを考えている。その大半は失念してしまうが、一部は頭の中に論議の萌芽として沈澱してゆく。それが積もり積もって一定量に達すると、頭がその処理、すなわち心コンテンツ的な思考を無意識的に初め、結果、お勉強がはかどらないのではないか、という仮説をたてた。実際、勉強がはかどらない時期と、アイデアが沸いてくる時期は、わりとセットで訪れることを経験的に知っている。ならば、ある種ガス抜き的に、つもったものを考える時間をとれば、すっきりし、お勉強もはかどるのではないか。
すなわち、勉強がはかどならいことに悲観する必要はなく、別方面で頭を使うグッドタイミングであることを知らせる、福音であるという説を、私はとる。これを、怠慢福音説と名付けよう。
なお、福音というからには前提としている一つの価値判断がある。それは、いろいろなことを自分なりに考えることは、お勉強にも勝る大事なことであるという価値観。だからこそ、それをやるに当たり時間対効果の高いだろう時期を知ることは、福音であると思うのだ。

キタコレスーパーポジティブ。