五反田で満腹だ

 合格授与式はガチでフォーマルな式典でした。銀行の本店内にある立派な講堂で開催。会食までの1時間くらいは私語厳禁な雰囲気だったし、何度お辞儀をしたことか。こういうガチでフォーマルな式典は最近ではあまりないらしく、こういう緊張を体験することがよい経験になるとのこと。確かに、居心地のよいとは言えない時間が流れたが、そういう体験ってあまりないので、現代の学生にとっては貴重な経験なのかもしれないな(社会に出て、重役とかになったらしょっちゅうなのかもしれないが)。会食はコース料理だった。ステーキとか寿司とかメロンとか出てきて、もう満腹です。幕の内弁当ぐらいにおもっていたのでびっくりです。てか、着物を着た女の人が20人くらい突然あらわれたのが一番びびりましたが(ご飯持ってきてくれる人だった)。交通費もいつもながらびっくりです。なんかお土産まで2袋ももらい、至れり尽くせりで感謝のしっぱなしです。礼儀礼節を重んじた立派な人間にちゃんとなります。
 合格者は64名らしい。つまり面接は基本的には合格するものだったようだ(面接まで進んだ人が何人いるのかしらないが)。全員、大学の推薦を受けてきているわけで、確かに、あまり落ちるとは思えないですね。18大学いるらしいが、俺の周り(東大、一ツ橋、早稲田、慶応)は5名ずつだった。京大は2人だったので、都内は5名、地方は2名とかが相場なのかもしれない(あくまでも推測)。新入学者用の奨学金なので、みんな一年生だ。でも、M1は俺だけで、東大の残りはみんな学部1年生だった。文1、文3、理1、理2から一人ずつ。全員五月祭の準備に行くというので、式典のあと本郷まで連れて行った(俺は自習orz)。特に文3の子は、「友達がサンセットに入った」と言っていたので、サンセのテントの所にたまたまいた新人ぽい女の子(名前知らん)に聞いてみたら、その子が文3の子の友達その人だった。世界は狭い。
 式典でのお話は、いわゆる「古い考え方」が多い。しかし、温故知新という言葉があるように、古いからといって悪いとは限らない。そして、その古い時代のよさが現代急速に失われていることへの危機感と、それをなんとかしなければならないという使命感から当奨学金が設立されるに至ったのであろうと思う。ここで、その古い考えなるものに反駁することはたやすい。が、奨学金の授与者と被授与者の関係は、ディベートによってよりよい方向性を模索する対等な立場ものたちの関係とは異なる。だから、可能な限りこの「古い考え方」をよく言えば素直に、悪く言えば無批判に受け入れねばなるまい、と思っている。
 ところで、吉田松陰の言葉に「夢なければ、目標なし。目標なければ行動なし。行動なければ成果なし。成果なければ幸福なし。」というのがあるらしい。夢を持つことは大事だよというだけでなく、ゴールから逆算していくという思考法、長期プランの重要性など、今まで理解してきた事柄の多くがこの短い文から読み取れると、俺は思う。知恵の宝箱は、過去という名の洞窟に眠っているのかもしれない。抽象的に言うならば、目標は遥かかなたにある夢から順繰りに現在へ戻してくる。そして、その糧となる知識は逆方向に遥かかなたにある古典から引っ張ってくる。抽象的な話を続けると、最近、そういった意味での視線が過去方向に向いてきており、その流れの中で、古い考えを無批判に受けれてみようという判断もまた、なされたのかもしれない。
 そんな雨の五反田でした。