法学と数学

近似計算では各要素について、最終的に知りたいオーダーの1つ下の桁までを使って計算し、最後に四捨五入するというのが基本でる。論述もにたようなものかもしれない。何かしらの説を用いるにあたっては、その説を導くための1段階原理的な記述から書いていく感じか。
およそ高校数学が数個(3つだっけ?)の基本原理から演繹できるように、およそ法学も数個の基本原理(意思、帰責性、信頼など)から演繹できるぽい。ところで、例えば数学の入試問題を解くに当たって基本原理から記述する人はいなくて、余弦定理など高次の所からスタートするのが普通だ。しかし、三平方の定理を証明するのに余弦定理を使っていては、何ら示したことにならない(普通、余弦定理は三平方の定理を用いて示される定理)。つまり、求められる次元のちょっと前から書いていくことが大事だと。それは法学も同じなのかな、と。
さらに、法学においても基本原理から複雑な事案に対する解(判決)を演繹する過程を俯瞰的に把握する力が必要かもしれない。法学における俯瞰的な視野という表現は、法律全体の中の当該法律の位置付け(法学の世界地図があるとして、今自分がどこにいるのか?)という文脈で使われることが多い。これを法学における水平方向の俯瞰性と名付けるならば、原理から結論への一連の流れを俯瞰することは垂直方向の俯瞰性と呼べるだろう。垂直方向の俯瞰性を重視するならば、結論と理由付けを覚えていたんではダメだと言う、いわゆる予備校否定論は正しい。でも、まずはそこからクリアせねば、という気もする。予備校だけでよしとする予備校万歳論者がもはや周りにいない今、まずはそこから、という考えこそが予備校肯定論なのかもしれない。
と、えらそうなことを書いてみたが、法学を始め1ヶ月半。今のところ、全然わかってない。イッキアップキノコ待ち。