東京大学工学部(PSI)卒業

 卒業しました。充実した4年間をありがとう。両親・教授・学友に深く感謝します。ありがとうございました。
 総長の言葉は要約すると「自立分散協調型Agentとしての個人となれ」と「複合的な視野を持て」と「卒業生の未来に平和あれ」の3点であったと思う。最初の言葉は、複雑系としての社会において、個人がその主体性・多様性を失うことなくしかし全体のことも考えることの必要性を説いたものであろう。2番目の言葉は、グローバル化の中で、特に歴史問題などで一方の立場からしか物事を見ない(単眼的)のでは共通見解へはたどり着けない。固定観点から脱却し、あらゆる角度からの見え方を受け入れることが重要であるということであろう。「日本人であれば日本人であると同時に日本人を越えて・・・」という表現が分かりやすくてよい。世界市民たれ、宇宙船地球号の乗組員たれという意味であろう。最後の言葉は、実に最も大事なことである。グローバル化の流れの中で、戦はいざ始まるときには必然性を持っていることが多い。追い詰められた国家が、最後の手段として、あるいは、思い上がった大国が自国の利益あるいは理念を押し付けんとして、「しょうがなく」始まることが多い。いかなる局面においても、例外を認めず、「しょうがない」ではじめない根気と勇気が必要であろう。憲法9条の改正の議論とも密接に結びつく議題である。
 学位記授与式では一人ひとり手渡されてちょっと感動した。システム創成学科長及び、その後の卒業生(産業再生機構の元CEO)の言葉は、つまるところ「エリートなるもの君子たれ」であったように思う。学科長はサステナビルデベロップメント(持続可能な発展)を例に語った。サステナビリティーは最近盛んに題目に冠される言葉であるが、実際、具体的に持続可能な社会とはなんたるかをイメージしている人・企業は少ない。どのような社会が持続可能な社会なのか(つまり量的な成長から脱却し量的な恒常状態の中での質的な成長を遂げるために何を整備し何を開発すべきか)についてのビジョンを持ち、その上で、各人各企業が何をなすべきかをかんがえるべきであると。長期プランの重要性ともつながる話である。
 卒業生の言葉は、好むと好まざると社会は本学卒業生をエリートとして見るし、エリートとしての役割を与えてくる。エリートの役割とは、つまりリーダーであり、多くの人の人生に影響を与える仕事である。自分にとっては何万分の1の社員の例えば人事であっても、当事者にとっては1分の1の人生である。一部の人に恨まれることもあろう。しかし、何をもって恨まれてもやむなしとするか。何をもってその決断に自分なりの正当性をもたせるか。それは、最終的には自身の倫理であり、正義なのであり、覚悟なのである。そういった覚悟がなければエリートをやってはいけない。今後何十年か、日々勉強である。多くの人の人生に関わる立場になることを想定しつつ、そういった覚悟を磨いておく必要があるだろう。与えられた仕事をそつなくこなすのがエリートではないと思う。自身が倫理、正義をもち、それにより自立的に決断をだし、結果に責任を持つことがエリート、そしてリーダーに求められるものであろう。