裸の王様

自分の正義を人に押しつけるのはよくないですね。という前提がまずあって、でも、自分の正義というか指針というかを軸みたいなものを持って全体を統括しなければならないのが代表なのではないか、と。ベンチャーやってる人の話とかを聞くとやはりそう思う。つまり、軽く矛盾しているわけですね、最初の前提と。カリスマ社長などはそのカリスマ性によって自分の例外化を許していて、普通の社長は定例会などで社員の意見を吸い上げているからということで自分の例外化を許している・・・気がする。統治される方、つまり正義をある種押しつけられる方も、役割分担の一つとしてそのことを甘受するのか。こだわらない点は、その軸にそっていき、こだわる点は堂々と意見を表明するというスタンスがもっとも効率的だとなんとなく知っているからか。なんであなたに従わなければならないのか、と、言われた社長はなんと答えるのだろう。気に入らないならやめてくれというのが一番楽かもしれない。でも、そんなこという会社はちょっといやだ。組織ってのはそういうもんなんだよって言うのはどうだろうか。答えにはなっていないのは明らかだ。誰もが社長になれば、そういったシステムの必要性をかみしめるに違いない。でも、じゃー君今から一週間社長やってごらんよ、とは言えないだろう。では、どうやって伝えるか。相手が、完全に対等に意見している以上、伝えるのは非常に困難だと思う。そもそも、最初の前提と矛盾しているのは事実なわけだし。裸の王様は、なんと答えたんだっけ?・・・あくまでも対等に、あくまでも全員が個々人の正義で動くことで全体の秩序が保たれることはないというのは先人たちから受け継いだ知見である。それを統括するよう委託された代表は、委託されているというその一点においてのみ、優位である。逆に言うと、それ以外、何もない。なんで従わなければならないのかという根本すぎる疑問は、その一点によってのみなんとか答えれるようなあやういものな気がする。だから、当たり前にそれをみな、受け入れているのではないか。あやういことを承知しているがゆえに、逆にそこは甘受する。そんなこんなで、社長室がちょっと立派になっているのではないか、とかちょっと思ったり。