家族

阪神大震災の日、目の前の道路が真っ二つに割れる中、この家には生き残った。つまり、家族4人を守ってくれた。家はそれ自体、家族なんだと思った。そんな大阪の家が売れたらしい。なんて名前の人が次住むのかな。

あの家で、僕は成長した。かくれんぼでは決まって、カーテンの裏に隠れた。夜二階の自室で勉強していると、母が紅茶などを持ってきてくれるのだが、階段の一番上が必ずギューとなるので、母が来たことが分かる。そして、母が到着するまでの数秒間、最高に集中してみる。真冬にあったかいココアを飲んで、冷えた窓に息を吹きかける。突然できた黒板に、僕は指で「勝」と書いた。
家は高台にあったから、見晴らしは最高だった。中心街のネオンを見ながら、自分の未来に想いを馳せた。緑に囲まれていたため、空に映える星たちもまた、宝石のごとく美しかった。星座をよくしらなかったけど、オリオン座を見つけては喜んでいた。夜中にベランダに出て空を見上げると、どこかで同じ空を眺めている人がいる気がして、なんか楽しかった。

小さい頃から飾ってある象徴画。何を意味しているのかわからずずっと考えていた。考えているうちに思考は枠を飛び越え、広大な宇宙へと飛んでいった。本棚に飾ってある亡き祖父の写真。勉強机に座ったまま、右をみると視線が合うように設定した。頑張らなきゃいけないのに頑張れないとき、祖父の写真に語りかけ、喝をもらって勉強した。そして部屋の壁は、賞状でいっぱいになった。
柔らかな光に包まれた1階で、よくピアノを弾いたのを覚えている。悲しい旋律に、涙したことが何度もある。いつも隣で見守ってくれていたランプは、振動で微妙にゆれる。僕は本当に心を込めてピアノを弾くとき、たいてい目をつぶるので見えないが、弾き終わったあと、微妙にゆれるランプを見て、ありがとうと言う。そんなことが、いつの間にやら習慣になった。

地下の駐車場も、庭の草木も、隠し部屋のような屋根裏部屋も、全てが家族だったんだと思う。かけがえのない家族よ、思い出をありがとう。いつか俺が金持ちになったら、もう一回、あの場所のあの家を買い取りたい。