「国家と個人と正義のゆくえ」

神の座に座るのは、やっぱ神様じゃないとな、と思う。神様ほどの力量は人間にはないから、役目の重さにつぶされそうになるんだよな。俺はどうやら神の座への切符を手に入れたらしいけど、やはり神が二人以上いるのはよくないので、先代の神に託すことにしよう。先代の神は、俺の知る限り人と人との間に生じた軋轢を適切に処理できる有能な人だが、デリケートであるので正直心配だ。孤独な騎士よ、疲れたら無理せず休めよな。というか、正義はあるのか、正義は。こうした方がよい、と頭で分かっていてもどうしようもないってそんなの言い訳やん。こうした方がよいって冷静な自分が理解していて、周りもそのことを指摘しているのに。恋は盲目という言葉に正義は抗えないのか。本当の愛だけが人を盲目にさせるんじゃない。偽りの愛であっても、愛は必ず人を盲目にさせる。盲目だから本物だと信じるのではなく、盲目だからしょうがないとあきらめるのでもなく、盲目だからこそ、周りにそして自分の心に耳を傾け、英断するべきだと思うんだよな。正義は、あるのか?恋にまつわる心の葛藤や、理不尽さを空想してみて思ったんだけど、やっぱりイラクvsアメリカという構図に似てる。正義とか、ないし。周りは、正義をもっているけど、当事者を止められない。それは、国家が最高の集合体であり、それ以上のものがないからだ。それは、恋愛において、個人が最高の決定機関であり、それ以上のものがないのと恐ろしいほどに類似する。正義は、客観的立場でしか発動できないのだろうか?