教官の言葉

 司法研修所の最後の授業で、各教官が、これから実務に出る司法修習生にメッセージをくれた。まさに、実務に出る直前の今、そのメッセージを胸に刻む。とりわけ、民裁教官のメッセージが記憶に残ったし、法曹に限らず、これから社会に出る人みんなが読んで意味があるものだと思うので、当時のメモをもとに整理したものをここに記す。タイトルなどは勝手につけた。本来の内容と趣旨がずれていたらごめんなさい。
 なお、下記内容は、これから法曹として実務に出る人に対する一般的なアドバイスであり、あえて守秘すべき内容ではないと考えている。

プロの法律家になるにあたって大事なこと

(1) 温かい心を持つこと/当事者の気持ちに配慮すること

 裁判官にとって大事なのは「切れる頭」よりも「温かい心」であると思う。これは裁判官に限らず法曹三者に通じることである。というのも、我々の仕事は、困っている人を助けることにあるから。同情ではなく、同苦し、困っている人を苦しみから救っていくのが仕事である。したがって、温かく優しく接するのが基本である。この基本を忘れてはいけない。
 そして、依頼者の声なき声に耳を傾ける法曹を目指して欲しい。そもそも、紛争は法律の枠内で起こるものではない。人の感情の対立など法律の外で発生するものである。したがって、紛争解決にあたっては、法律外の面、つまり当事者の気持ちを大事にしないといけない。例えば、争点整理一つとってみても、心理的観点からの妥当性という観点を忘れてはいけない。
 法曹になったら「生の事実」を大切にせよ、とよく言われる。それは正しいがそれだけでは不十分である。「生の事実」の裏側にある当事者の「気持ち」にまで光がたるように心がけたい。

(2) 権力性を認識すること/謙抑的であること

 法律家は強い権力をもっているということを強く意識して欲しい。素人の立場からみれば、裁判所も検察庁も弁護士事務所も、すごく怖い所なはず。そのことを我々は、きちんと認識する必要がある。したがって、できるだけ権力を使わない、素人の人に権力を意識させないようにするべきである。
 そのための具体的な工夫としては、書面における言葉遣いをですます調にするとか、封筒の雰囲気を柔らかくするとか、いろいろある。内容証明郵便を送るときに相手がどう感じるか、ということをちゃんと考えなければならないということ。考えたのか、自問じなければならないということ。なるべく威圧的にならないようにするべきである。 私は、「原告」「被告」ではなく、「原告さん」「被告さん」あるいは「本人さん」という。また、相手が誰であれ、初対面であれば、自己紹介をする。些細なことかもしれないが、こういう権力性を意識させない工夫をされたい。
 繰り返しになるが、法曹はその存在だけでおそれられるということを意識するべきである。裁判所に行くだけで当事者は恐がるし、大変な精神的負担である、ということを意識するべきである。判決は権力行使の最たるものであるから、できるだけ使わないように意識している。その上で、やむなく使うという姿勢は、必ず当事者にも通じる。

(3) 最善の方法論を追求すること

 本当にそのやり方でいいのか、ということを自分の頭で考え、自分の感覚に照らして考える。紛争解決についていえば、原則として、抜本的和解>ケース和解>止む無く判決の順に上等であると考えている。
 ところで、紛争の解決内容そのものよりも、紛争を早期に終わらせること自体に意味がある場合がある。離婚訴訟などが典型であるが、訴訟にまで至った夫婦の関係が元に戻るということはほぼない。そうすると、過去の事実を審理せず、早期に解決することがベストな紛争解決となる。かくなる上は、一日でも早く別れて新しい日を過ごした方が互いにとってよいからである。
 他方、時間はかかるが、じっくりと話し合うことで抜本的解決に至る典型が、遺産分割などの親族間紛争である。事案は複雑だが、必ず解決する。遺産分割の場合、相続開始前のしがらみ(気持ち)がいろいろあるところ、それがきちんと財産の分け方に反映されていないと当事者が感じていることが、紛争の肝である。したがって、時間をかけてしがらみについて解きほぐしていけば、必ず両者が納得できる和解へとたどり着く。提案に反対する人の、反対する内容を通して「気持ち」がわかるのである。

その他のメッセージ

(1) 自分の力を高める努力を続けよう

 法曹としての力の原資は、自分の体と頭に尽きる。そして、力がないということは大変惨めである。法曹としての力は、一朝一夕には力はつくものではない。しかし、明日の自分の方が今日の自分よりも少しでもましになれるように、努力を続けるしかない。 「十年一剣を磨く」という言葉がある。私が修習生のころの指導担当教官が「僕は任官してから10年間本当に勉強しました」と言っていた。彼は、その言葉通りやったのだな、ということがにじみ出る人格者であった。この言葉を聞いた私は、素直に、自分もそうやろうと考え、今に至る。最初の10年、特に4年目から10年目は仕事に全エネルギーを注いでいた。能力が足りなかったり不器用である分、量で補おうと考えた。人の倍努力してようやく人並みの仕事ができると考えた。
 イチロー曰く「小さなことを積み重ねることがとんでもないところへ行く唯一の道だ」。王貞治曰く「努力は必ず報われる、報われないならばまだ努力と呼べない」。私の経験に照らし、これらの言葉は正しいと思う。「努力は決して嘘をつかない」とも言う。継続的な努力を志しても、三日坊主になってしまう人もいるかもしれない。私もそうである。しかし、「三日坊主でもいいんだ、三日坊主も何回も繰り返していけばよい」という言葉がある。私はこの言葉が好きで、この言葉に救われてきた。三日坊主でもいいから、努力を続けてほしい。

(2) 大事なのは人物力である

 ここからはモノサシが変わる。今までのモノサシは「学力」だったが、これからは「人物力」がモノサシとなる。人の役にたてるか、いい人物であるかで判断される。学力は高いが人物に難がある人は、これまでは悠々だったかもしれないが、改めないとこれから苦労する。学力が普通でも、志が高い人。これからは、まさにあなたの時代です。人間というモノサシで評価される新しい時代に入っていくので、大いに羽ばたいて下さし。

(3) 明けない夜は、ないんだよ 

 今後、生きていく中で、様々な困難がある。「人生は行き詰まりとの闘争である」という言葉があるが、まさにそうである。河合隼雄は「2つよいこと、さてないものよ」と言った。1ついいことがあると、もう1つ悪いこともある、という趣旨である。昼と夜があるように、春夏秋冬があるように、物事は自然とバランスがとれるようになっている。だから、良いばかりでもないし、悪いことばかりでもない。まずは、そのことを理解しておこう。悪いことがあっても、かならず良いことがある。夜になっても必ず朝が来るように。ふりかかる困難は、必ず乗り越えられる。
 人生は長いけれども、トータルで勝たないと意味ない。「勝って奢らず、負けて腐らず」。努力を続けていきましょう。私も、みなさんに負けないように、努力を続けます。それでは、お疲れさまでした。