離婚の作法−終わりなき男と女の紛争劇(by山口宏)

I quote some sentences from above-captioned book.

  • あと何十年かすると極東の一角に、ニュートラルな無味乾燥な経済大国がぽっかりと浮かんでいるだろう、それは伝統と隔絶された空間である(三島由紀夫
  • 金持ちと結婚すると、結婚して仲良くしている間も、いろいろな贅沢ができていいしそれから離婚するときもいいわけである。財産分与もたくさんもらえて、養育費にも不自由はしない。
  • 結婚という制度は一種の拘束であって、そのなかでお互い忍耐を継続することで、大いなる価値を生み出せる、さらには、味わい深い幸福に到達することができると考えるのか、それとも、単に性愛が成立する間だけ同居すべきで、性愛が消失すれば、同時に解消の方向に向かうべきものである、それこそ幸福の追求であると考えるのかという対立である。これは大きな対立であって、「人間の幸福は、忍耐を経て訪れる」という哲学に与するのか、それとも「人間の幸福は、享楽によってもたらされる」という哲学を信奉するのかという選択と、最終的にはつながるのである。
  • 二〇〇三年初頭に顕在化したイラク攻撃をめぐるアメリカとヨーロッパの姿勢の違いは、「悪」を消滅させることに急な新しい文明と、「悪」と共存し「悪」と均衡することを選択する古い文明との対立をにわかに彷彿とさせる…
  • 権利・義務体型は表層にあるが、その外被のもとで、我々は、たとえば「哀願の体系」とでも呼ぶほかない規範によって生活してきた。…直接に当事者間で交差する矢のイメーじなど…なかった。あったのは、困惑する立場の者が、第三者に、困惑を解消する方策を哀願するという構図である。…だが、伝統的規範が消滅した後、…権利・義務体系は依然として表層に留まったまま、哀願の体系に代わる実質的な規範体系は…ついに現れることはなかった。我々の社会は、アノミー(無規範)に近いのであり、権利・義務体系は、アノミーにおける剥き出しの欲望が求めるものを正当化する役割を果たしているにすぎないとさえいえる。