司法修習生に対する修習資金の給与制を維持すべきか否か

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私見の結論

 私は、司法修習生に対する修習資金の給費制を維持すべきだと考えます。この点、給費制を維持すべきか否かという問題は、この国が法曹をどう養成するかという問題であって、社会全体にとっていずれの結論が望ましいかという観点から判断しなければなりません。しかしながら他方で、給費制が維持されると、私という個人が金銭的に助かるという構造にあることも事実です。したがって、私に対しては「結局おまえが金ほしいだけだろ」という批判が常にありうることは承知しています。しかし、その上でなお、法曹養成の制度として給費制は維持すべきであるということを訴えたいと思います。
 なお、従来通りの額の給付を維持することが望ましいですが、それが困難であるならば、現実的な落しどころとして、例えば半額であっても給付を維持すべきだと考えます。根本的な考え方の対立があるので(国が国費で法曹を育てるべきという考え方と、個人が自己の資格を取得するにだけなのだから費用は自己負担すべきという考え方)、折衷的な結論に落としにくいのは分かります。しかし、そうはいっても金銭は可分ですから、折衷的な解決というものも、視野にいれて議論すべきではないでしょうか。

過去の経緯から−少なくとも給費制打ち切りを延期すべき−

 過去の経緯を整理し、施行年度を延期するという修正案が出されたときと同じく「不意打ち」といえるから、今回もまた延期するべきではないか、という話をします。
 そもそも、修習生の給費制の在り方についての検討するべきことは「司法制度改革審議会意見書」にて提言されました(平成13年6月12日)。そして、司法修習生の大幅な増加や、法科大学院裁判員制度などの新制度への対禹王に多額の財政支出を伴うため、国民の理解を得るためには、司法制度全体で合理的な財政負担を考える必要があるという理由で、平成16年10月12日に「平成18年11月1日で給費制度を打ち切る」という内容の法案が提出されます(閣法第7号)。しかし、この法案が提出された時点で、法科大学院は開校しており(平成16年4月から)、すでに法科大学院に入学したものにとっては不意打ちになるのでは、との配慮から、「給費制度を打ち切る時期を平成18年11月1日から平成22年11月1日へと変更する」という修正がなされ、平成16年12月2日に当該法案が成立しました。ちなみに、なぜ平成22年になったかというと、平成16年に入学した未修者が順当に卒業し試験に3回目で受かると平成21年から司法修習生になるからです。この点で、不意打ちに対する配慮は十分にされていたといえます。
 そうすると今回は、確かに平成16年入学者と同じ意味での不意打ちはありません。そもそも貸与制になることが分かって全員入学しているからです。しかし、法案成立時(平成16年)には誰も想定しえなかったことが起こっているという点では、平成16年入学者と状況は類似しているといえると思います。すなわち、司法修習生になるまでに負う金銭的負担の重さと、かなり厳しい就職状況です。
 当該法案が成立した時点では、平成22年に司法試験合格者数が3000人になることを前提に議論がされていました。そして、合格率は80%を目指すとされていました。つまり、基本的には司法修習生になれるわけです。しかし、実際には、平成22年の司法試験合格者数は約2000人であり、合格率は25%にとどまります。大半は落ちる試験になったのです。そうすると、法科大学院入学から司法修習生になるまでの期間が延びてしまい、その分だけ、司法修習生は借金を重ねることになります。また、就職できない弁護士が多数発生することや、弁護士の平均年収が低下することも立法当時の予測を遥かに上回るペースで生じています。要するに、立法当時前提とされていた社会的経済的事実(立法事実といいます)は、もうないのです。とすれば、法を修正するのが筋ではないでしょうか。
 ちなみに、私は合格者数をやみくもに増やせばいいと考えているわけではありません。今回の合格者数も、弁護士を増やしてみても就職先がないという現状からすれば、2000人というのは妥当な数字かもしれません。この国に潜在する法曹需要を、きちんと把握し、それに対応する数の法曹を養成すべきだからです。思ったよりも法曹需要がなかったのだから、養成する数が予定よりも減る、というのはまっとうな論理だと思います。しかし問いたいのは、その責任は法科大学院生や司法修習生が全て負うべきものなのか、という点です。思ったより法曹需要がない結果、合格者数が減り、各人が負う借金が増え、就職難にもなりました。法曹需要が思ったより少ないことは、当時誰にも予想できなかったでしょうから、しょうがないと思います。ですが、その結果、予想外に法科大学院在学生や司法修習生が金銭的負担を強いることになったならば、その現状に目を向け、給費制を維持するという結論を取るべきではないでしょうか。
 私たちは、順当に卒業すれば平成22年に受験し、その時の合格者が3000人になるという政府の閣議決定を元に、様々な比較衡量の末、法曹へと道を転向する決断をしました。様々な前提条件が崩れた今、それでもなお、立法当初の想定事実を下に給費制を廃止することは、広い意味での「不意打ち」にあたると思います。

そもそも給費制を存続させるべき

 前節では、少なくとも給費制の打ち切り時期を(当該法案が修正議決されたように)延期すべきではないか、ということを書きました。政治的なパワーバランスからみて、今回は「なんとか延期してもらってその場をしのぐ」というのが精一杯でしょう。けれども、仮に延期してもらったとしてもいずれはまた給費制を打ち切る日がやってきます。今度は、悲惨な合格率や就職状況も知った上で法曹の道に入ってくるのだから、さすがに不意打ち論は使えません。そこで、そもそも給費制を維持すべきか、という話になります。
 ここでも私は、維持すべきだと考えます。つまり、そもそも「給費制は存続させるべきだ」というのが私の主張です。仮に、それが認められない(又は議論が詰まっていない)としても、少なくとも今回は給費制の打ち切り時期を延期すべきだと言うのが、前節の主張です。
 そもそも給費制を維持すべきか否かという論点については、司法修習をどう位置づけるかについて大きな対立があり、それが結論の違いに直結しています。つまり、司法修習を国が法曹を養成する期間であると位置づけるならば国費の支給は素直な結論です。国家公務員が入省後、各種研修を受けるでしょうがその時も当然給与はでますよね(例えば警察庁に入庁するとまず警察学校で研修する)。それと同じことだと見るわけです。これに対して、司法修習を個人が法曹資格を得るための期間にすぎないと位置づけるならば、そのための諸費用(例えば地方修習のための引越し代など)は当該個人が負担すべきだということになり(受益者負担の考え方)、給与制は打ち切るべきということになります。この立場からすると、むしろ無利子で貸与できるという恩恵にあずかれるのだから司法修習生は感謝すべきであるということにさえなります。
 では、いずれの立場をとるべきでしょうか。

(つづく、と思う)