科刑上一罪の公訴時効

 この論点では、前提として刑訴253条の「犯罪行為」には犯罪による「結果」も含まれるとするから、実行行為の話をしているのか、犯罪行為の話をしているのか混乱を来たし、カオスに陥りやすい。この件につき、最高裁判例はあるものの、その理解につき統一見解もないようなので、理屈を考えてみたところ、「実行行為時に不可分一体になるぽ」(以下「ぽ説」という)と考えればよい気がする。
 まず、判例は、観念的競合につき一体説を、牽連犯につき連鎖説をとるが、両説で違いが生じるのは、A罪の公訴時効完成後にB罪の起算が始まった場合である。一体説であれば、A罪が復活するが、連鎖説ではA罪は不問とされる。
 で、観念的競合は実行行為は1つであるから、ぽ説によれば、もとよりA罪とB罪は不可分一体なのだといえる。実行行為時にくっついちゃった、みたいな。そして、くっついちゃった以上、A罪につき公訴時効が完成していても(A君死んでいても)、B罪の起算が始まった場合(起算点は結果発生時なのでA罪のそれとずれることがある)には、A罪も一体として問責される(A君復活する)。
 他方、牽連犯の場合、ぽ説によれば、くっつきうるのはB罪(目的の方の罪)の実行行為時である。そのとき、A罪(手段の方の罪)の公訴時効が完成していれば、くっつく相手がいないから、B罪単独で問責される。A罪の公訴時効完成前であれば、B罪の実行行為時に、両罪がくっついて、くっついちゃった以上、その後は一体として扱われることになる。
 そんな気がする、25の夜。