ソフトパワー

 コンテンツの授業が面白そうだったので(以前告知したやつ)参加した。ハルヒダンスを世界各国(日中韓台、ドイツ、フランス、アメリカ、・・・ボスニアまで)で踊っているムービーを観て感動した。良作は、言葉の壁、文化の壁を越えて行くんだなー。世界の人が、共通のモノに萌えるって相当ステキなことだと思う。
 クリエイタの目線で言えば、このコンテンツをどうやって世界のみんなに楽しんでもらえるのか。この星のうらっかわの人と共通の話題なんてなかなかないだろう。人類共通の話題たりうる話といえば、政治や宗教など、イデオロギー関連が多く、気軽に会話の糸口にできるものではない。その点、芸術(アニメや音楽を含んで使っている)やスポーツの価値は、とても高い。
 プロデューサの目線でいえば、いかにして国際市場に飛び込んでいくか、最低でも東アジア圏、可能ならば全世界を市場にしないと、人口が減少×ネットの台頭で規模がどんどん縮減する日本市場では生き残れないだろう。事実、ざっくり言って、この10年で出版の市場規模は2兆5000千億から2兆円にまで下がっている。
 役所の目線でいえば、日本のソフトパワーをどう活かしていくのか。日本が敗戦によって武力の放棄を強制された点は間違いない。半世紀を経た今、武力を取り戻そうと考える人と、武力の放棄に積極的意義を見出そうとする人がいて、対立している。両者ともに理由はあるのであって、にわかにどちらかを全面肯定することはできない。が、武力(=ハード)の扱いの如何はさておき、ソフトパワーという概念が近年(米国で)作られ、そのソフトパワーにおいて日本が(アニメ、マンガ、萌え文化などで)世界を牽引していることは間違いない。したがって、そこには、前記立場の相違を超えて、皆が注視してしかるべきように思う。
 問題は、それを国家政策として、きちんとバックアップできているか、という点である。著作権等の法的観点、減税等の財務的観点、文化としてのアニメの地位をホームグラウンドたる自国で確立させるための、各種啓蒙活動など、いろいろ期待することはあるが、果たして。なお、最後の、地位の確立については、奏功しつつあるように見える。世界におけるアニメは「道楽」というよりもむしろ「素養」であると捉える方が近いと思うが、実際、交流の場において、アニメ、2ちゃんねる、ニコ動などの基礎的文化を共有していることが、デフォルトになりつつあるように感じる。
 ITが、一部のエリートが用いる先端技術から、万人が用いる「メディア」になった昨今、そこから発生した特殊な文化に対して、一定の理解と知識(=引き出し)を持つことは、我が国においても「素養」になりつつあるのではないか、と感じている。
 おそらく、よほど特殊な道を進まない限り、エロい話ができない男は、なかなか将来厳しいように思う。エロい必要は全くないが、エロい場、エロが求められる場において、「そういうのはボクちょっと知りません」的なのは、しょっぱすぎる。「柚キティナ*1、誰それ」「(一同)え?」みたいな。そういうモノと同類の系に収束していくのではないか、と予想しつつ、ニコニコ等を正当化してみるテスト。

*1:改名前