峠(上)(中)(下) 読了

 日をあけると、書くことを忘れてしまうな。主人公の継之助は、思考方法や説得・統率の仕方において、極端な面がある。この国は、この面を明確には持っていない人が多いように思うので、この面に惹かれ、あるいは、その存在をこの本で知った人からの支持をうけ、この本は高い評価として記録されているのだろうと推測した。例えば、中学生のときにこの本を読んだら、感銘を受けていただろう。
 ところが、幸か不幸か、読書当時、俺にはこの面がすでにあった。なので、自分を客観的に批判的に見つめる作業に近い感覚があった。そういう意味で、得るモノが少なくない本であり、名著に分類されるとは思うが、再読はしないだろう。
 逆に、「竜馬がゆく」で描かれる坂本竜馬の思考方法は、読書当時の自分にないものが多く、まだまだ、吸収できていない点が多いので、近いうちに再読するだろうと思う。おそらく、すでに竜馬的思考方法なり行動規範を、他の学習によって体得している人からすれば、「竜馬がゆく」はさほどの感銘を与えないかもしれない。が、俺には、全然なかったので、あの本を読んで、思考方法が変わったと思うし、得るモノが大きかったように思う。
 読書をもう少し、「娯楽」として扱うべきかもしれない。得るものは何か、という視点ばかりを強調するのは、味気ない気もする。が、この規範を変えるのには、自己分析をかなり根っこからやり直す必要があり、しばらくは変わりそうもない。というのも、考え抜いたあげくの暫定的な結論として、自分は人生の目的に「成長」をおいていると思うに至ったからだ。
 なんか、大上段に構えた生意気なことを書いたが、読書の目的に娯楽が含まれることは当然である。それを、主目的におくか否かというだけの話。翻って「峠」だが、この本は、展開のテンポもよく、娯楽としてはお勧めである。
 少なくとも娯楽性が担保されるのが、好きな作家の本のよいところだと思う。読書による成長なんて、ある意味、宝探しのようなものだから、掘り当てればらっきーなわけだが、娯楽性もないと、読書後、かなり悲しい。そういうわけで、過去に読んで、一番残念だったのが、つまらないハウツー本ね。1冊読んで、得る知識なぞほとんどないことが多い(選らんだ本が悪いのかもしれない)のに、娯楽性は皆無だからな。
 んまぁ、そんな感じで、読了しますた。