人格密度分布

 考察の種を思いついたので備忘的に。
 人格を球体で捉える。他者との交流は、他者の人格(別の球体)との接触を意味し、共通部分(接触部分)において互いに影響を与え合う。影響は、差分に由来する。すなわち、元来同一性を保っていた自己人格分子が、その間に他者人格分子が挟まれることで、その差分から同一性が害され、そこに違和感を感じる。そこから再び同一性を取り戻そうとするときに、従来の人格分子の性質状態に戻るのか、その違和感を反映した新たな人格分子の性質状態に収束するのか、いずれにせよ、他者人格分子との差分に基づく違和感を通じて新たな人格分子が形成される点、成長と呼んでよいだろう。
 さて、人格球は中心から外縁に向かい、滑らかに構成分子の性質及びその粗密が異なると思われる。最中心部にあるのは(宗教を持つ人ならば)信仰等の思考のベースになるものであり、外縁にあるのは、こだわりというほどでもないちょっとした行為様式(シャツの袖はまくる等)であろう。粗密についていえば、中心部ほど密で、外縁部ほど疎である。粗密は、他人格への許容度を意味する。差分は斥力を生み、密度が高いほど、すなわち単位体積あたりの構成分子が多いほど斥力は大きくなり、他人格との共有部分は小さくなる。他人格との共有部分、重なり具合は、内在的理由にせよ(あの人とコラボりたい)外在的理由にせよ(同じ職場にいる)、両者を結ぶ引力と、差分に由来する斥力との均衡で決まると思われる。
 ここで、差分は斥力を生むとともに、成長の母体であることは前述した。しかし、そうだとしても、斥力と成長に比例関係があるとは言えない。この辺、適当だが、斥力は共通部分を確定するための要素にすぎず、成長は共通部分確定後に新しく観念されるもので、両者は別個独立である、との理解でよいだろう。また、斥力は本稿の例えでいえば、分子の数、ないし粗密に依存するが、成長は共通部分に差分が存在するということから生まれるものであり、分子の粗密との関係はない。差分というものにつき、前者では定量的に扱い、後者では定性的に扱うことになるが、そうしないと、このあと言いたいことが言えないので、とりあえずそうする。
 そうだとすれば、成長のためには、人格球の粗密分布を自在にあやつることができれば、効果的なのではないかと思う。要するに、そのバランスを、視覚的に説明したかっただけである。中心部にギュっと分子を集めることで、中心部を密にし、そこの不可侵性を高める一方で、疎の部分を増やし、他者との共通部分を増やし、成長をもくろむと。コアを崩さず、より柔軟に周りのいいところを吸収すると。
 状況に応じて、何が最適なのかは分からないが、現在、目指すところの人格密度分布は上記である。自然状態よりも、中心部分に集めるよう「努力」している。ちょっと前、「対人関係について」という話を、書こうと思ったが、そこで前提にしていたのはこのような考え方である。
 まぁ、いいたいことが単純なわりに、複雑なたとえを用いすぎた感もあるが、またいつか、推敲するとして、テストからの現実逃避はこのへんで。

P.S.今回はguessとかいう人の言動に影響を受けた部分が大きい。具体的には、彼がミクシーの紹介文で「たくの良いところは、良いところを残したまま変わっていけることなのではないかと思う今日この頃。」と書いてくれたことと、その後「重要なのは違和感くせぇ」を連呼していたことの影響を受けている気がする。