未練

 学部のときの研究室のメーリスも受信しているのだが、別フォルダに自動処理しているため、閲覧することは稀。でも、今日たまたま除いてみたら、直属の先輩でグーグルに入社した倉岡さんの記事が紹介されていた。2個上の先輩だが、1個上の先輩よりもさらに親近感がある。なぜなら、俺らが卒論のとき、ちょうど修論を書いていたからだ。
 倉岡さんには、卒論について意見を伺ったこともあるし、特にパワポについては、かなり多くのアドバイスをいただいた。実際、結局は使わなかったが、倉岡さんが使っていた影響場を与える関数を裁判員Agentの認知モデルに拝借した時期もあった。倉岡さんは、修士論文で最優秀賞をとったぐらいのスーパーマンなんだが、学部のときはgdgdだったと本人も、準教授の方もおっしゃっていて、修士ですげーがんばるとこんなにすごくなるのか!と、先輩の背中を見ながら、超がんばろうと思ったのを、思い出した。
 研究を通じて理解したことのうち、学術的な部分は、おそらく今後の人生にほとんど役にたたない。役にたたないだろう道へ路線変更してしまったというのもあるし、役に立つには学士レベルではあまりにも足りない。複雑工学についてだましだまし語れるのは、対文系人が限界で、理系人に対しては専門外の人にもたいしたことは言えない。でも、それ以外の部分は将来に活かせるはずで、また、活かさなければならない。一つは、本気を出せば、かなり人間はがんばれてしまうということ。集中力も、体力も、限界を何度も超えると、限界値が高くなっていく。もう一つは、考え続ければ、解は見つかるということ。むろん、暫定解に過ぎない可能性は高いのだが、およそ分析の端緒が掴めない状況でも、考え続ければ、閃くことは多い。そして、それはなぜか、風呂場でよく起こる。
 外側から見ていると、研究の成功例しか目にしないからか、とても未練を感じるが、もう少しだけ、こっちでもがいてみようと思う。それにしても、あれやこれやと予習に追われる日々も爽快ではあるが、たった一つの謎を「考え続けること」ができたあの頃は、なんだかんだで幸せだったと思う。今は、区切られた時間のなかで「考え続けること」が必要なのだが、どうしても、答えを見つけてわーいとなってしまう。いかんなぁーと思っていたところに、学部時代を象徴するような人の記事があったので、はっ、としたので、書いておく。