バーチャルリアリティー

自分用まとめ(一部)。もう少し気合入れて毎回聞いとけばよかったと思うも、後の祭り。

技術の熟度とコンテンツ

 技術が最初はSpecialだが、ある瞬間にCausualになる。例えば、飛行機はSpecialなものだが、バスはCausualなもの。技術は進歩するに従って以下のような変遷を経るといえる[英語が微妙な気もするが・・・]。

  1. Institutional(施設的、業務的):研究室のマシンなど。効率、利用率が重要。
  2. Personal(自家用):自動車など。使わなくても怒られない。
  3. Intimate(個人用):趣味の領域。携帯とかかな。

 個人用にまで達した技術については、マシンがハードウェアとしてはガジェット化しているため、自己説明的でなく、説明を他に求める必要がある。すなわち、文脈が必要であり、その一例としてコンテンツが出てくる。

ウェアラブルコンピュータ

 常に人間に密着しているコンピュータ。人間が質的に変化する可能性がある。例えば、時計[最も単純かつ初期のウェアラブルコンピュータであると言えよう]を持つことで、人間が時間について絶対座標を持ったように、GPS機能つきのマシンを常備することで、空間についても人間は絶対座標を持つようになると思われる。すると、場所と時間の概念が変わる。p(場所)とt(時間)が可変性を持ち[変数として従属性を持つというぐらいの意味かな]、On demand型の生活スタイルとなる。定時発車の鉄道型から、タクシー型へということ。カメラの撮影履歴にGPSデータが結びついていれば、携帯電話で撮影した写真のサムネイルを Google Maps/Earth にプロットし、「地球アルバム」みたいなインターフェースが簡単に実現できるかも[ってネットで誰かが言ってた]。

ライフログ

 ウェアラブルコンピュータが普及することで、ライフログ(人生の記録)をとることが出来るようになる。1日8時間×70年間をビデオでとり、MPEGに圧縮すると10TB(テラバイト)[←ペタバイトな気がする]になるらしいが、メモリの低廉化でそのうち一般家庭でも保存できるようになるだろう[より効率的な圧縮技術が開発されるかもしれないし]。
 ライフログ的な側面を持つものとして、電子メールがある。オーバーヘッドもなく、コストも0であるのが利点で、コミュニケーションが全て記録できている点がライフログである[俺は携帯のメールを全てGmailに転送しているからGmailを分析すればコミュニケーションに関するライフログは数年単位でかなりの精度で取れているといえるだろう]。また、ライフログは体験の商品化の可能性も秘めている。例えば、発想工学、製造業、医療(生活習慣病)、マーケティング・・・。
 しかし、記録したものをどう見るのか、という問題がある。20年の記録を見るのに20年かかっていては意味がない。そこで、検索が重要となる[Google大帝が再び台頭する予感]。ここで、検索に意味論を加えたくなってくる。意味論とは価値と言い換えてもよく、計測可能な指標を踏み越えたいということ。
 ちなみに、米国国防省MicroSoftKDDIが大規模な研究を行なっている。

過去と未来の現在化

 ライフログにより過去をいつでもReferできるようになると、これはバーチャルタイムマシンが出来たと言ってよい[例えば過去の恋人から告げられた愛のメッセージを録音していて、後で再び聞くことは、バーチャルではあるがあの瞬間を追体験しているとも言え、その点でタイムマシンであると言える]。これが過去の現在化。
 また、ライフログから構造を抽出(体験をモデル化)することで[隠れマルコフモデルなど]、未来のシナリオを現在知ることが出来る。予定表やシミュレーション(駅ナビ)などですでに行なわれていることでもある。これが未来の現在化。

VR(仮想現実感)→MR(複合現実感)

 VR(Virtual Reality)のエッセンスは人間の周りに人工的な第2・第3の世界を構築すること。セカンドライフとか。つまり、現実世界とVR世界は[少なくとも物理的には]何の関係もないところが本質である。一方、MR(Mixed Reality)とCGなどで描く「仮想世界=VR」と,ビデオカメラなどから取り込まれた「現実世界」を融合させ,3次元空間の中でインタラクティブなアプリケーションを構築する技術の総称である。VRとの対比では大空間(リアルの演出→スケール感)・脱ビジュアル(視覚だけでなく五感全体へ使えるチャネルを拡張)・実物との接続などが本質であるとされる。
 MRはリアルに逃げ込めるところが利点であるらしい。人工物の世界では不都合なことが起こると怒られるが、リアルな世界では不都合なことが生じても誰も怒らない。また、人工知能における最大の問題点であるとされるフレーム問題(有限の情報処理能力しかないロボットには、現実に起こりうる問題全てに対処することができない→フレームをはめてその中で対処するしかない→フレームの選択にまたフレームが必要で・・・・orz、という問題)も、クリアできるのが利点。

感性の科学

 工学技術全体に関する歴史的変遷をザックリと言うと以下のようになる。

  • 1970:いかに壊れない、ちゃんと動くコンピュータを作るかが重要課題だった。
  • 1980:技術制約ではなく感性制約になってきた。何がしたいか?という話。HIの登場、使いやすいサービス。
  • 1990:感性工学→しかし微妙な感じで終わった。
  • 2000:文化。新日本様式、研ぎ澄まされた感性。
  • 2007:ユーザーと技術水準の変化により、感性工学が復調の兆し。

 感性を求めるための近似として、感覚を求める。あくまでも最終目標は感性であることを忘れてはならない。ところで、感性を定量化するとはどういうことか。ロゴス(知識情報=論理的に説明可能なもの)により出来るだけ定量化してもなお、定量化できずに残るものを感性と定義するという考えがある[余事象的にしか定量化できないもの、ということ]。例えば、車が5台あって、それらをAHP分析(一対比較)などし、嗜好順位を定める。それでもなお、やっぱりこっちの車の方がいい!みたいなのがあれば、それを[現実とロゴスとの差分を]パトス(感性情報)として認定する。

メンタルと科学

 [厳しい環境の]家庭と[優しいおねーちゃんがいると思われる]施設とで交互に育った子供の成長をグラフ化すると、家庭にいる時よりも、施設にいる時のほうが、体重、IQともに成長が激しい。これより、やさしさのようなメンタルなものが、体重のようなフィジカルなものとも関係しているのではないか、との仮説が立てられる。[むろん、施設は栄養満点→肉体的に成長(体重増加)→それに伴って精神的にも成長(IQ)という因果も考えうるが]。
 瞬間的に何桁の数字まで覚えられるか、という実験をすると、たいていは7桁以降急激に正答率が下がる(記憶に関してはこの”7”というのがよくキーになるなしく、マジックナンバー7と言われる)。同時に、心的負荷を計測すると(心拍数のゆらぎなどから計測)、桁が上がるにつれだんだんと苦しくなるが、8桁目移行、再び楽になる傾向がある。適応していくにはコストがかかるが、いったんキレると楽になるということ。自己解体のプログラム、すなわちアポトーシス的な現象がある。
 医療も科学も概ね行くとこまで行った感があるので、やさしさとか感性とかが議論されるようになった。