将来2

 下書きが膨大になったので、整理しつつコンパクトに書いていくことにする。ゴールデンウィーク修了までに一応の将来像を書くことを目指しています。将来どうするよ?って考えているわけですが、頭を絞って考えてみても「現在の俺的いけてる職業・・・*」に行き着くだけなようです。将来どうするよ?に対する答えが、毎回過去に出した答えを踏まえた上でのもの(すなわち上書き保存的な)であるならば、*で十分、将来の目標を表していると言ってよいのですけど、俺は一見、過去に出した答えとは全く別の路線から新しい答えを出している(すなわち別名保存的な)タイプなので、将来の目標をたてるにあたっては、人生で何度か答えてきた*に対する自分の答え全般を見渡してみることが大事だと思うのです。要するに、自分の興味は何なんだろう?ということを考えようと。そして、その手法としては、自分が過去になりたいと思った職業と、その理由を列挙し、その背後に横たわるものを帰納的に推測し、そいつを興味だと認定することにしようということです。
 結果、自分の主たる興味はキーワードでいうと1感動2教育3正義の3つなようです。そして、それを実現する形態に関してはリーダー(組織を運営する側)が重要なキーワードなようです。
 1感動について。感動については高2の文集(これ)で明確に興味があると書いています。感動って何だって思いますけど、当時の俺は「映画にしろゲームにしろ演劇にしろ、名作の後のあの感じ(感動)はイイ」としか書いてないけど、要するにあの「背筋のゾクゾクっとする感じ」(←やはりうまく言えないw)を生み出す一助を担いたいなというコトです。ミーハーな例で言うと、ワンピースとかが世界に向けて発信されていることがまじでステキだと思うんです。ワンピースは数ある漫画の中でも感動ポイントの多い名作だと思いますけど、ああいう感動が世界に広がっていく感じが、もうステキとしか言いようがなくて、やっぱり携わって行きたいなぁと今でも思っているんですね。これに関して、自分がコミットできるのはコンテンツ×リーガルの部分です。絵下手だし、芸術的な面で関わるのは絶望的ですけど、まさにあれコンテンツビジネスなわけで、コンテンツ学科で学びかつロースクールでもしっかり学べば、まさにその業界が欲する人材になれるのでは?と期待しています。高校時代に何気なく思い描いた夢が、ひょんなところで現在へと結びつくのですね。考えること、それを記録することの重要さを痛感します。
 2教育について。教育もまた、一生切ることの出来ない確固たる興味の一つです。教育への興味から教師、弁護士、官僚といった職が考えられると、東大ロースクール受験二日前に書いた記事(これ)には書いています。つまり、「教育」という興味と教えることが好きだという自分の特性から教師という職を最初考えたが、一つには社会にあまり認知されていない非行少年の更生方面の尽力すること(教育の影の部分)こそ自分の使命ではないかという変化(視点をずらした感じ)、もう一つには、組織運営が好きだという自分の特性を加味し教育全体の運営に携わった方がよいのではという変化(見る位置を後ろに変えた感じ)があり、弁護士という職と、官僚(政治家)という職へと将来の候補がシフトしたということです。先ほどの記事では、その上で、官僚への道を決意していますが、東大ロー→国一突破という流れはどの道に進むにせよ抑えておきたい所だと思っているので官僚への道はまた死んではいません。ただ、教育については、別のアプローチが最近頭の中をめぐっています。
 それは「発展途上国に学校を建てたい」ということ。代ゼミで働く塾講の仲間(年齢的には先輩)が言い出して、それを聞いたとき、やはりステキだと思いました。先ほどの感動が世界に広がるのと同じくらいステキなことだと思うのです。500万あれば学校が1個建つと聞いたことがあります。将来、幸運にもいわゆる高収入を得ることになれば、必ず学校建てます。
 俺たち、地球レベルで見ると一瞬で死んじゃいますけど、知識は受け継がれていくから永遠なんですね。さらに、学校がない地域の子供たちって読み書きそろばんが出来るだけで、人生変わると思うんですよ(塾講仲間の言葉)。生まれたときからすでに存在している理不尽に対し、抗えるのは昔は武力、今は知力なんですよね。地球上の全ての子供たちに知を育む環境を整えることは、一地球人としての使命かなとか思ったりします。その前に戦争なくせよって話ですが、戦争は結局は野性の衝突ではないかと。野性に対抗するのは知性=理性ではないかと。貧困が戦争を生むって言うけれど、貧困そのものよりも、貧富の差があるのにどうしようもない現状が生むフラストレーションが戦につながるのではないかと、どうしようもないものをどうにかするために、学校の充実は遠回りなようで一番効果的なんじゃーなかろうかと思っています。
 さらに、環境問題も、環境破壊が進む発展途上国は「先進国もやってきたことだからうちらがやっても責められまい」と言い、先進国は言葉に詰まる感じだと思うが(状況は変わっているかもしれない)、当事者たるその発展途上国の子供たちは、現在環境破壊がどれほどに進み、どんなけヤバイ雰囲気を出しているんかを認識しているのかちょっと疑問だ。そこも、教育の範疇だと思う。世界の現状を伝える。どの選択肢を選ぶにせよ、まず、真実を見つめなくちゃーいけない。さらに、その真実を、臨場感をもって納得しなければ話は進まない。そのためには、グラフやら数値やらは非常に重要であり、それを理解する力がないと、真実は感情にぼやかされてしまって何も見えない。だから、教育の充実は、環境問題解決への前提条件であるとさえ思う。
 3正義について。正義とは何か・・・と言い出すと、それは「お前の正義」だろうという話になって終わってしまいそうな気配がする。が、ぜってーそういう軽いツッコミで終わる話じゃねー何かがあるはずで、法律家になる以上、当然にそれは分かってなきゃいかん気がするのだが、まぁ、分かってない(ボソッ)。ただ、とりあえず、長崎の市長銃殺事件を見るまでもなく、暴力団問題への関心は高い。東大ローも早稲田ローも「暴力団問題を解決する検事になる」ことを小論文形式で書いて、願書として出したぐらいだ。当たり前すぎてケッと言われることを承知で書くと、社会システムとして暴力団が組み込まれていることそのものが問題だ。その点、オウムよりもアルカイーダよりも厄介であると思っている。オウムもアルカイーダも社会からは隔絶されている。その上で、犯社会的な行動をし、警察に追いかけられている(最も、話はそんな単純じゃーないかもしれないが)。一方、暴力団は、裏面に身をひそめつつ、表面でも社会の歯車のひとつとなっている場面が少なくないのが問題の解決を困難にしている。社会システム全体の問題として、それこそ30年がかりで撲滅する計画をたて、強力なリーダーシップの下やってかないと解決しないだろう。ここに身をささげると、多分俺も殺されちゃうけれども、この国から暴力団がなくなるのなら・・・・うーやっぱ死にたくねぇ。
 4リーダーについて。つまるところココに書いたとおり、英傑になることが俺が目指すべき指標と言っていいだろう。そしてその理解の上に今年の目標の中に「人脈の構築」を掲げ、遂行している最中だったんだ(完全に忘れていたorz)。例えば50で仕事に一区切りをつけたとする。その後10年間何するかって考えたときに、今まで書いてきた自分の興味やら適性やらを総合すると、政治家になるのが一つの有力な選択肢である。何一つコネがなく、テレビに出る予定もない俺が政治家になることは奇跡に等しい。ロー入試前々日の記事で書いている「奇跡」とはこのことである。何度か訪れるチャンスを逃さずに乗っていけば、あるいは、可能性は0ではないかもしれない。今は、なれると信じて生きるしかないのだが、例えばどこぞかの市長にでもなったとして、どういう教育方針を立てるか。その市の中で感動を巻き起こせるか。この市の中に正義は貫かれているか。もし、政治家になれたら、若き日に考えた全てのことが活きる気がする。
 妄想ついでに選挙をちょこっと考える。俺が井上くんに投票しようと思うには、何が必要か。やはり、弱者の現状を知っている人に市政のトップになってもらいたいわけだ。かつ、正義は貫いてもらいたい。そして出来れば、そこそこ有能であってほしいわけだ。むろん、みんなが望む人材にならないと選挙には勝てないわけだが、少なくとも自分が自分に自身もって投票できるような自分にならないと話になんねーから、そうなるように生きてみよう。で、弁護士資格はやっぱ必要となり、勉強しなきゃってことになり、あ、もう自習室でなきゃってことになって、ああ、今日もまた、自習室来ただけだなぁとか思いつつ、こういう記事は2年後あたりに見返して意味があるんじゃねーだろうかと思って慰めつつ、いいかげん終わります。きりーつ、れーい、さようならー。