絶縁

絶縁を宣言するということは、状況がかわり、心境もかわっても仲良くはなれないことを意味する。だから、どんなに一時的に腹が立っても、時が解決してくれるさと思い、絶縁なんでしません。しかし基本的に俺は思想の基本回路が性善説に基づいているから、常識の域を超えて峻烈に酷いことをされると、マイナス無限大というか座標外に飛んでいってしまうぽい。座標外なので、なんというか、もう他人以下の領域です。といっても、事例が1件しかないし、同じような感情を持つ人も少なくはないので例外的なもんなのかもしれませんが。ところで、やっぱり絶縁とかよろしくないと思います。絶縁という状況になるからには、それ以前なんやかんやで違和感を覚えながらも絡んでいたわけです。だから、何かの拍子にまた絡むシチュエーションが訪れる可能性は、いわゆる他人に比べてはるかに大きいわけです。そんな時、存在を感知するだけでテンションが下がっていては、もったいないし、情けない。だから、自分に合う人を選ぶという作業も大事だと思います。こればっかりだと、自分に都合のよい環境ばかりが構築され、視野が狭くなるので問題ですが、逆に性善説に基づいて全てを受け入れようとするとそれはそれでムリが生じるのだと思います。どうにも合わんわって人に対して、ある一定以上関わると、あーだこーだいいたくもなる。そういう人に対してはある程度の距離感を持たないと、最悪の結果=絶縁を招いてしまう。理解しあえる兆しが見えたら、距離を縮めていけばいいわけで、近距離からスタートして限界を感じ離れだしたら、無限遠に行ってしまうのはある種あたり前なのかもしれない。もうずいぶん昔のことなのに、ちょっと思い出して、けっこう凹む。人には優しくありたい、あの時の教訓を思い出し、書きとめる。忘れないようにしないと、苦い思い出に、価値がない。