システムを信じるか、システムを更新するか

恋愛頭脳

をみんなやってて面白いんだけど、正直あまり当ってなくね?というか、訪問者の価値観を吸収して成長する、みたいなことを書いてあったけど、「アンケートから推測される価値観」と「実際の価値観」をリンクさせてフィードバックをとらないと意味ないんちゃうの?とか思った。ある入力に対して実際には「安定志向」にも関わらず「波瀾・冒険志向という出力が出た場合、本来はその入力に対する出力(要するにシステム)を修正すべきなのに、単純に「波瀾・冒険志向」の人が+1されるだけなのでは、どの点で「成長」してると言えるのだろう?よくよくみてみると、「恋愛頭脳の中で、それぞれの分析結果で注意すべきは、例えばたくさんが『安定志向』であると自分で思っているにも関わらず『波瀾・冒険志向』と判断された場合、たさんが安定志向であることを否定したわけではないということです。多くの人がもっと安定志向だとして、そこを基準としてたさんは波瀾・冒険志向であると判断したに過ぎません。」とあるけど、それはつまり、自分の感覚よりも「恋愛頭脳」の結果の方が妥当性があるよってことですよね。確かに、「安定志向」だと自分で思ってる人がそのままの結果を得ても何の価値もないよなー。自分ではこう思ってるけども実は・・・!みたいな展開にこそこの手のシステムの魅力があるわけだし。しかし、微妙なり、恋愛頭脳

ところで

「ある入力に対して既存のシステムの返す出力(予想)と、実際の出力(結果)が違う場合に、システムを更新するか観測結果を例外とみるか」という二者択一はいろんなところで見られると思う。科学の発展はマクロ的には前者の繰り返しだが、ミクロ的には後者が幾千と繰り返されているように思う。つまり、ニュートン力学で対応できない事象が出てきたから量子力学相対性理論が出てきた(んやんな?)ように、例外を糧に新しい理論は作られて来たように思う。しかし一方で、俺たちが高校まででやってきたことはひたすら既存の定理へのあてはめだったように思う。簡略化されニュートン力学が絶対成り立つ系の中での計算だから、おかしな結果が出た場合は間違いなく自分のミスだと思う。後者は誰もがやることで、受動的で機械的な行為だが、前者は情熱溢れる挑戦者(研究者)がやることで、能動的で独創的な行為だと思う。カッコイイ。

法律の世界も

同じである。既存のシステムとして判例が存在する。判例と書くとシステムではなく出力のような感じもするが、そうではない。というのも、新しい事件に対しその結果(出力)を推測するときに重要な役割を担うのは、既存の事件(入力)からそれに対する判決(出力)を導き出す論理過程が書かれた「判例」であるからだ。またいったん判例が出来てしまうと公平の観念から、まったく同じ事件が同じ状況で起きたならば同じ判決を下すことになるので、その意味でも、判例はこの文脈ではシステムといってよいだろう。さて、その判例という名のシステムが存在する時、何かしらが入力されたとする(ある事件に対し、それと似たような事件の判例がすでに存在しているということ)。そのときにシステムが返す出力が自分の倫理観に反している場合(その判例では例えば有罪が出ているので、どうやらこの事件でも有罪判決が出そうだが、自分の感覚では無罪である、と思われるときなど)に、普通はそれをしょうがないと諦める、つまり後者の行為をとりがちである。でも、それはシステムがおかしいんじゃないかと疑い、システムに斬りこんでいく、それが弁護士なのではないかと思う。新しい解釈などで、システムに斬りこんで行く。そしてその結果、システムのシステム(メタシステム?)とでも言うべき「法」の改正にまでつながったりする。カッコイイと思う。

人の印象

という分野においても先の二者択一は重要な分岐点になっていると思う。仲良しだと思っていた人が自分の悪口を言ってたと周りから聞いたとき、それを「例外」と処理するか「仲良し」という状態を「微妙」という状態に更新するか。俺は何かしら抽象的な概念を無理やりに一言二言で表現するというやや無謀なことに暇があれば挑戦しているんだが(例えば、生きるとは?など)、「親友とは?」という問いに対する答として先の状況を「例外」と処理できる人というのを暫定的な自説としている。自分の友達というカテゴリーの中で、自分への誹謗中傷(批判とかではなく悪意のあるもの)を聞いたときに「いやいやあいつがそんなん言うわけないやん、人違いか聞き間違いちゃう?」と即答できる人が確かに存在して、そんな人を自分にとっての「親友」と呼ぶのかな、と思うわけです。少々の例外に左右されないくらいに太い友情で、堅い絆でそのシステムはがっちりとしているわけだから。しかし逆に、そういう「例外」かもしれない話を聞いただけで「印象」をすぐにマイナス方向へ更新してしまうことがやはりあるわけで、それはその人と仲良くなれ切れてない証拠だと思います。そして、もっと仲良くなりたい!と思うわけです。