■
今日は電車が2回もとまった。が、その状況を逐一係員がアナウンスしてくれてよかった。宝塚線の列車事故以来、安全面に高い注意が払われている感じをうけてとてもよい。これを風化させてはいけない。しかし風化する危惧は多いになる。
少し前、新人車掌が指導員と二人で乗務していたが、声を張り上げて頑張っていた。指導員がいるから、というのもあるかもしれないが、実際に乗務にあたることで「安全」の重みを感じているからではないか、と推測する。毎年毎年目にする光景だ。が、そんなフレッシュマンも、しばらくたつと大半が、安全確認の声は小声もしくは心の声になり下がり、列車のアナウンスさえもやるの気ない感じになってしまう。
小さなことだが、その辺の風化が積もり積もって、大事故の記憶の風化につながると思う。0に近似されそうなほどの些細なことを積み重ねることは、無限大の遥か上を行く人命を救うことになるかもしれない。大事な人を失ってから嘆いてももう遅い、ということを再考されたい。