原発存廃論

 原子力発電の存廃について国民レベルでの議論が盛んになっている。死刑制度や米軍基地の存廃の問題と同じく、いずれの立場も有力であり、したがって対立が激しい。とりわけ、万が一の場合の不利益がとても大きいという点では、死刑制度の存廃論に近いのかもしれない。
 死刑制度の場合、(可能性が低いことは認めるが)冤罪が起こった場合、無実の人の命を奪うことになるところ、さすがにこのリスクは許容できない、というのが反対派の主たる論拠であるように思う。原子力発電の場合は、(可能性が低いことは認めるが)事故が起こった場合、広域かつ世代を超えた汚染が生じるところ、さすがにこのリスクは許容できない、というのが反対派の主たる論拠であるように思う。
 また、死刑制度の存廃論は、死刑判決確定後にが再審でひっくり返り無罪となったとき(過去4回ある)に、にわかに議論が活発化する。可能性が低い、といいながら実際に冤罪で死刑判決が出ることがあるじゃないか(そして思ったよりレアではない)ということにみんなが気づくからである。今回、大地震が起きたことで、可能性が低いといいながらも、やっぱり事故ることはあって、その結果は甚大であるということにみんなが気づいた結果、今日のように議論が活性化している。
 事案を異にするため、単純にあてはめられないとは思うが、共通点が少なくないと思うので、原子力発電の存廃を考えるに際して、死刑制度の存廃論を参考にできるかもしれない。俺は死刑制度に対しては反対の立場に身を置くが、原子力発電についてはまだ立場を明らかにするほど考を熟していない。なので今日は、友人のBlogからの受け売りだが、原子力発電の反対する立場の人の考えを紹介するにとどめる。いずれも、深く考えられており、説得的。とりわけ、後者の記事は中学生(アイドル?)の記事である。二倍近く年をとっていながら、俺は彼女より思考の射程が狭く、かつ浅い。筆者らを、素直に尊敬した。