「申し訳ありませんでした」

 電車が遅延すると、必ず謝罪のアナウンスが流れる。自然現象や人身事故などある種しょうがない(前者の場合むしろ乗客の安全のために速度を落としている)場合、謝罪する必要はない気もするが、慣行上、申し訳ありませんと言うことになっているようだ。遅延電車の車掌さんはこれを各駅で言い続けるわけだからめんどくさいことこの上ないだろう。そういう事情もあってか、やっつけの「謝罪」も少なくないのが現状である。
 そもそも、謝罪の慣習は、不合理とまでは言わないが不要だと思う。遅延理由と到着予想時刻が分かれば十分であり、むしろ静寂が好ましいとさえ言いうる。もっとも、鉄道会社側の負担で、社会的礼儀として「謝罪」をする分には構わないだろう。大変そうではあるが、頑張ってもらいたい、ということになる。
 ここで、社会的礼儀として謝罪を慣行化するならば、やはり、そこに誠意を込めなければならない、ということを指摘しておきたい。そうでなければ礼儀としての適格を欠くからだ。要するに、謝罪は不要だと思うが、仮にやるならば、気持ちを込めてやらないと逆効果ではないか、ということ。いたずらに「申し訳ありませんでした」という言葉の価値を減衰させてはならないように思う。