授業のビデオのメモ

  • 命を賭する覚悟。実際多くが死亡。しかも陪審制度で無罪、又は訴え取下げ(不起訴処分?)。
  • 音楽が多い。パフォーマンスの一貫か。権利を獲得しようとする側が歌っているイメージがある。音楽(リズム)は集団を一体化させる力があるかもしれない。その点で、優秀な演説と音楽は近似する。最近でいえば、エコ活動にミュージシャンが参加しているが、これも音楽の力を利用した大衆の啓蒙活動であろう。
  • 判事もまた市民。裁判官を「法を語る口」と捉えることは、やはりできない。差別が固定化され「文化」となった状況では、それを前提に判断することは正義か、否か。そこで、手続き的正義の、環境に左右されない正義としての意義を認識した。
  • 運動には戦略がある。初等教育における黒白差別を違憲とすることは、社会からの反発が強いため、運動組織(NAACP)は高等教育(具体的にはロースクール)における差別を違憲たとする憲法訴訟を提起。そこで、最高裁違憲判決をだす。そこから、徐々に判例理論を引き出していって、最高裁自身を自己の理論による鎖で縛っていって、最終的に初頭教育を含めた黒白差別を違憲としたのがブラウン判決。なお、こういった画期的判決、つまり社会の現状に対する否定は、最高裁としても勇気のいることである。無視される可能性があり、それは最高裁の権威の失墜を意味する。実際、無視されたわけではないが、潜脱が繰り返され、実質的に黒白の差別がなくなるのはずっと先のことである(現在もまだ続いている面も否定できない)。
  • 非暴力の抵抗、もまた戦略。こちらが非暴力で相手が暴力的であるという状況までねばり、それをメディアが全国に流すことで、外野の世論が動くのを狙っているのだと思った。