塾講が終わりました。

塾講が終わりました。春期がなんだかんだで講師が足らず、ヘルプを要請される可能性もありますが、正規には今日で終了です。というわけで、ちょっと回顧。もうなんか、俺にしか意味のない日記(たいていはそうだけども)です、はい。
 一般には4月あるいはもっと早く(出身塾生とか)から履歴書を出し、サバイバルがはじまるらしいけれども、俺は、7月に履歴書を出しました。というのも、ラクロスをやっていたため「バイトする時間ねぇー」状態だったからです。それが「そもそもバイトしないと食べていくお金ねぇー」に変わるまでに3ヶ月必要だったのです。その頃が一番麻雀も強かった気がします(負けたら明日からのマンマがしょぼすぎるぉ)。提出先は、正直時給で決めたわ。鉄緑とネクで迷った(同じ時給)んだけど、鉄緑は髪染めたらダメって鉄緑に言ってる友達がいってたから、ネクにした(動機不純)。
 その履歴書が通り(そういえば理想の教師について小論文書いたw)、筆記試験を受けるまでは早かった気がする。筆記は普通だった。東大前期の普通の年くらいの難しさ。それも通って最終面接こと模擬授業。これはさすがにちょっと緊張しましたね。確か、「解の公式」と「解と係数の関係」を終始言い間違えていて、軽くテンパったんだった。まぁ、そんな細かいところを見ているわけではないので傷手ではなかったぽいですが。で、わりとしばらくしてから、「採用フォー」との電話がかかってきたのが確か秋で、「トリビアの泉」のエキストラの控え中だったのを覚えている。ちなみに、「家庭教師友の会」でとりあえず応募したのが通ったんだが、その電話の直後だった(無職から一瞬でバイトのカケモチに)。
 で、その後相当しばらくの間、猛烈に放置されてw、そしてG先の採点をはじめたんだった。研修にもちょこっと参加したけれど、いまいちメーリスとか俺には回ってこず(来るのが遅かったし、メーリスに入ってなかったかもしれん)、あまり研修の記憶がありません。多く見積もって数回かなぁ。そんなこんなではじめて授業したのは、高2の補修。補修だからかなりまったりな雰囲気でデビュー戦には最適でした。しかも、通常の授業でよくわからんかった子たちが多かったので、丁寧に解説すると(補修は時間に余裕がある)、みんなワカタ−ってなって、まぁ俺も生徒もなんか嬉しい感じなわけですよ。
 教師への憧れは、遡ること10余年、小学校の塾の先生への憧れからになります。小学校の時、塾の先生がまじカシコイと思って、チョーク使うことにまじ憧れて、将来絶対先生になると思っていました。その点、ネクはホワイトボードじゃなくてチョークなので、ちょっと嬉しかったですね。全体を通じて、やはり1年目は予習に割いた時間が半端なかったこと、そしてつい最近やった高3の直前も半端なかったことが印象的です。最初にもったクラスが基礎的なクラスだったこともあって、とにかく授業に来させること=楽しい授業を展開、をずっと最大目標にしていました。直接的に「怒る」という作業をせずに、クラス全体を楽しく、かつ集中した状態に持って行くこと、も裏目標です。結果、擬音語を多様するとなんか楽しいことに気づき、ずっとやってますw。俺の授業では、代入するときは、「ぴゅいーん」っていう擬音語が入ります。例:「ここにーこれとこれをねー、ぴゅいーんぴゅいーんといれるとだね、こいつが、どわぁーっとでるわけよ・・・」。まぁそんな感じで。やっていたら、いつの間にか終わったよ。
 もう直接的に生徒たちにしてあげることはなくなったので、あとは生徒の今年(去年もってた高2と直前でもった高3)、1年後(去年持ってた高1)あるいは2年後(今日最後の授業をした高1)に桜咲くように祈るのみです。そうそう、塾講を続ける中で、生徒に言い続けたことが1つだけあって、それは「頑張ることはカッコイイ」ということ。伝わっていればよいな♪。おやすみなさい。