自問自答

別に願書に書いた理想像に未来が縛られるわけではない。けど、せっかくだし、将来どんな法曹になりたいかをまじめに考える日々です。企業弁護士として年収1億超を狙うのも、悪くはない。理系出身であること、ビジネスの関心・知見を少しながら持っていることなど全般的にバリューを出しやすい職場であろうと思う。努力して、自分をアピールし、1番になってやるっていう競争社会は、嫌いではない。むしろ、得意だ。大阪に残してきた家も遠くない将来に取り戻せる可能性が高い。
しかし、多重債務で苦しむ無資産の人を救うのは誰か?愛に飢え、非行に走る少年を抱きしめ、更正させるのは、誰か?経済苦を理由に年間少なくとも8000人の人が自殺をしている。債務整理などで経済苦を緩和することが出来れば、尊い命を救うことに直結する。また、非行少年は、心のどこかに闇を抱えているに違いない。だって、晴れ晴れとしか心で、窃盗をしたり、人に暴力をふるったりするはずがない。その闇と向き合い、時間をかけて光をあてていく。こういったことを弁護士がするからこそ、弁護士は社会生活上の医師であといわれる。医師が、病気を治すように、命を救うように、弁護士もまた、人を更正させ、命を救う力を持つ。弁護士に惹かれるのは、その職業のそういった部分ではないのか・・・。
思うに、弁護士に限らず仕事には「収入」と「やりがい」の両面があるだろう。前者も後者もふつうに考えれば、両面ともに十分である。後者の弁護士になったとて、贅沢は出来ないまでも質素ながら家族を養うくらいの収入は得られるだろう。もちろん、同期の弁護士や就職組の高収入を聞いて、悔しい思いはするかもしれないが。前者だって、企業を法的側面から守り、また戦略に積極的に関わっていくのであるから、やりがいがないはずがない。
理想を追い求めるならば、俺は少年の更生に人生を使いたい。でも、単純に、高収入には惹かれる。というか、当たり前のジレンマ構造が、悩ましい。つまり、豊かな人はそんなに困らないのだ。貧しい人ほど、各種の波をモロに受け、法律の保護が必要になる。うーん・・・
てゆーか、両方やればいいじゃんという、非現実的な折衷案に毎回落ち着くのだが、願書にさすがにそれは書けない・・・。これも願書には書かないがゆくゆくは政治家になろうと思う。法を使う立場で得た経験・知見を元に、法を作る側へ転身する。詳しくは知らないが政治はやはり金が大事なようだ。自分の資産はともかくとして、各企業とのコネクションはいざその時が来たときに大きな力となるだろう。戦略的すぎて人間味がないが、国の中央へ庶民が飛び込むには、それなりの戦略と頭と情熱が必要だと思う。しかし、では政治家になって何がしたいかというと、もちろんこれは変わるかもしれないが、弱者救済の観点に立った立法なのだ。被害者支援とか、多重債務者の支援とか、非行少年の更生とか、家庭内暴力児童虐待から妻・子を守るとか、そういったことをしたい。とするならば、実際にその事件を担当し、当事者の生の声とふれあっている方がよい。いわば、そういった社会的弱者一人一人の声を受け止め、それを国会へ届ける・・・そんな役回りを担いたい。うーんうーんうーん。
まぁ、わかんねーや。とりあえず、なんか願書にかくべ。