御殿場事件

★★★くんのススメでザ・スクープの御殿場事件についてのVTRを見た。この事件が持つ刑事司法の問題点は大きくいって①自白のみを証拠とした裁判の存在②妥当性を欠いた裁判所の判断の二つであると思う。②については、VTRで強調されているように、当該判決は一般人の感覚からして、妥当性を欠いている。メディアがバイアスのかかったものだと考え、努めて客観的に考えても、論理的帰結と判決の乖離という点で、当該判決は妥当性を欠いているといわざるおえない。いや、雨降ってるに決まってるやん、みたいな。
ところで、刑事裁判を行う上では「無罪推定」とか「疑わしきは被告人の利益に」とかいった被告人有利の原則がある。人権の侵害(冤罪とか)を防ぐという目的なのだが、それだけを声高に叫んでみたところで、理想論にしかならないと個人的には思う。事実、裁判というのは究極のところで裁判官の直感によるところが大きい。例えば、相反する証言が出てきた場合にどちらの証言が正しいのかを判断するのは裁判官である。もちろん論理的に白黒はっきりすればよいが、いわゆるグレーゾーンも多い。それらを白か黒かに判断するのは証人の態度などを考慮に入れるとは言え、やはり裁判官の直感(心象)によるものだろう。だから、疑わしきは〜という理論を強調しすぎると、ほとんど無罪になってしまい、それは社会通念的によくないだろう、と思う。
さて、①について。客観的証拠に基づかない事件の場合、自白のみが証拠となる。従って、なんとか自白をとろうと躍起になり、「自白の強要」が横行する。そもそも、自白以外の証拠を見つけれなかったのに起訴を断念しない検察の伝統が諸悪の根源だと考える。また、あ僕は弁護士会のシンポジウムで、佐賀市農協事件(無罪=冤罪確定)の被告人として人権を無視した取調べを受けた副島勘三さんのお話を聞いたことがあるが、その取調べたるや、悲惨そのものである。御殿場事件でも、髪をひっぱったり机の下で足をけったりと、取調べはひどいものであったらしい。これは密室で取調べること(ビデオ録画などが認められていない)が原因であることは当然なのだが、しかし取り調べの可視化に検察側は積極的ではない。理由は取調べに支障をきたすからである。取調べの支障と、中で行われている人権侵害を天秤にかけた場合、どちらに天秤は傾くだろうか。
僕は人権だと思う。確かに社会の秩序を維持する機能に支障がでることに不安はある。が、そもそも今まではやりすぎていただけなのだ。それが普通に戻るだけのことで、実は支障でもなんでもないのかもしれない。言ってみれば検察は今まで手でボールをつかんだりしてもOKなサッカーをやってきた。そこで相手チームが「いや、サッカーなんだし手使っちゃだめですよー」と抗議した。すると「いや、今まで手つかってきたし、いきなり手使わないとかまじサッカーに支障きたしますわー」と検察は反論した。こんな感じだろう。