右と左

友達と思想の右と左について話した。右は国粋主義ナショナリズム)である。右といっても人それぞれ程度や種類が違うので一概には言えないが、主に①天皇万歳②戦争を美化③中国韓国朝鮮があまり好きじゃない、というのが俺の中のイメージ。軍歌を流して街を走っている人などが極右だと思われる。そして、右の人は第2時世界大戦のことを大東亜戦争と呼び、あの戦争はしかたなかったと言うことが多い。
一方左は、革新派と呼ばれる人たちで、よくわからんがリベラルとも言うらしい。しかし、「革新」という言葉はもはや形骸化している気がする。むしろ、平和に固執するという点では保守的といってもいいぐらいだとおもう。平和主義がモットーなので、駒場でよく見た「憲法9条改悪反対」と叫んでいる人たちは極左だと思われる。左右に関わらず、レベルが高くなると真ん中らへんの人は「恐い」とか「関わりにくい」といった印象を持つようだ。
さて、友達の意見を中心に新聞の左右具合を検証してみた。というか、恥ずかしながら俺は高校まで「新聞=中立な情報源」と思っていた。高校時代は新聞をあまり読まなかったから何も感じなかったが、大学になって新聞を読むようになり「偏り」を感じるようになった。で、「新聞に左右の偏りがある」ということを聞いて、違和感が氷解したのだが、それって常識らしいね。常識であるがゆえに、そのことを知らずに青年期を過ごすと、かなり思想に影響を与えると思う。わりと深刻な問題だと思うのは俺だけかな。
新聞の左右具合の結論は、「左端←朝日←毎日←日経=真ん中→読売→毎日→右端」となった。俺は朝日を今読んでいるが、左過ぎて、正直うざい時がある。ということは自分は右的思考をしているらしい。ならば、右寄りの新聞を読むのは危険だ。無駄にナショナリズムを高ぶらせるのは得策ではない。そういう意味では朝日でもよいのかもしれない。